アスタコスの子
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「イスマロス (ギリシア神話)」の記事における「アスタコスの子」の解説
このイスマロスは、テーバイ人アスタコスの子で、メラニッポス、レアデース、アムピディコスと兄弟。祖国がテーバイ攻めの七将による攻撃を受けた際に他の兄弟とともにテーバイを守って戦い、七将の1人であるヒッポメドーンを討つ活躍をした。
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アスタコスの子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 06:32 UTC 版)
このメラニッポスは、スパルトイの後裔であるアスタコスの子で、イスマロス、レアデース、アムピディコスと兄弟。アイスキュロスの悲劇『テーバイ攻めの七将』によると、メラニッポスはエテオクレースによってテューデウスからプロイティデス門を守って戦うことを命じられた。彼は7将のうちメーキステウスとテューデウスを討ったが、予言者アムピアラーオスに討たれた。 メラニッポスはテューデウスと戦って腹部に瀕死の重傷を負わせたが、女神アテーナーはテューデウスに不死を与えて救おうと考えた。しかしテューデウスを恨んでいたアムピアラーオスがメラニッポスを討ち取ってその首をテューデウスに与えると、テューデウスは頭を割って脳髄を食らった。アテーナーはその行為を嫌って不死を与えるのを止めた。あるいはテューデウスは重傷を負いながらも自らの手でメラニッポスを殺し、その脳髄を食らった。 後にシキュオーンの僭主クレイステネースは同地のアドラーストスの英雄崇拝を廃止するために、テーバイ人の承諾を得てメラニッポスを勧請し、プリュタネイオンの敷地内に神域を定めた。というのも、メラニッポスはアルゴスとテーバイの戦争でアドラーストスの兄弟(メースキテウス)と娘婿(テューデウス)を討った不倶戴天の敵とも言うべき英雄だったからである。そしてアドラーストスのために行われていた祭礼のうち、悲劇の上演をディオニューソス神に戻し、残りをメラニッポスに宛てた。 パウサニアスはプロイティデス門の近くにメラニッポスの墓があったと報告している。
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