アスキス連立内閣ランカスター公領担当大臣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 10:08 UTC 版)
「ウィンストン・チャーチル」の記事における「アスキス連立内閣ランカスター公領担当大臣」の解説
こうして挙国一致内閣としての第2次アスキス内閣が成立した。この政権には自由党と保守党のみならず、労働党からも戦争賛成派議員の一部が参加した。労働党は開戦以来、反戦派と「ドイツ軍国主義に対する戦い」として戦争を支持する戦争賛成派に分離していた。保守党前党首バルフォアがチャーチルに代わる海軍大臣に就任し、チャーチルは閑職のランカスター公領担当大臣に左遷された。ただ閣僚として戦争会議には残ることができ、チャーチルはこれが目的で閑職であっても閣僚職を引き受けた。 戦争会議はダーダネルス委員会と改称され、ダーダネルスでの作戦指導を専門とするようになった。チャーチルはダーダネルス作戦の続行を主張して受け入れられ、8月に改めてガリポリ上陸作戦が決行されたが、更なる犠牲者を出しただけに終わった。結局10月末にはガリポリ半島から撤退することが委員会で決定された。ダーダネルス作戦は25万人に及ぶ英仏軍将兵の死傷者を出しただけで何も得る物なく終わった。ダーダネルス委員会も解散することとなった。アスキス首相は少数の閣僚で構成する戦争委員会を新設したが、もはやチャーチルはそこには入れてもらえなかった。閣内に留まる意味がなくなったチャーチルは11月15日をもってランカスター公領担当大臣を辞し、内閣から離れた。
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