アクシデントの連続
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 06:40 UTC 版)
翌1974年1月、4歳になったイットーは紅梅賞を6馬身差で勝ち、桜花賞優勝候補の一番手と評された。しかし競走後に左前脚骨瘤(骨膜炎の一種)を発症、さらに左肩も痛め、長期の休養を余儀なくされた。これで桜花賞、オークスともに出走機会を失い、鞍上の高尾もデビュー20年目で訪れたクラシック勝利の機会を逸した。高尾は「条件クラスの桜花賞など、私は絶対に見ません」と悔しさを語った。当日はイットーと同父であるタカエノカオリが人気薄での勝利を収めた。 半年の温泉療養を経て、8月に復帰。緒戦のオープン特別(1700メートル)を1分42秒2のレコードタイムで勝利する。続いて秋の目標としたビクトリアカップに向け、その前哨戦となる京都牝馬特別に出走、50パーセント超の単勝支持を集めた。この競走には、一世代上の最優秀3歳牝馬キシュウローレルも出走(2番人気)し、2世代の3歳牝馬チャンピオンの対決となった。ところが、最終コーナーの手前でキシュウローレルが左前脚を骨折・転倒し、直後に位置していたイットーはこのあおりを受け、右後脚を7針縫う裂傷を負った。 これでビクトリアカップの出走も断念。年末にはセントウルステークス(当時オープン特別競走)に出走したが、他馬を怖がる素振りを見せ、3着に敗れた。イットーに相次いだ不運に、京都牝馬特別の競走後より田中が体調を崩し、高尾が厩舎管理の一端を担うようになる。負担が増した高尾は、セントウルステークスを最後にイットーの騎乗を簗田善則に譲った。
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