さらなる暴露
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/05 13:54 UTC 版)
「ウィリアム・ホープ (心霊研究者)」の記事における「さらなる暴露」の解説
ホープの複数の暴露は、1922年の『Scientific American』のなかの或る記事でジェームズ・ブラック(James Black)によって詳しく議論された。彼は、ホープは「いつわりの口実で金銭を入手する、よくいるいかさま師」("common cheat who obtains money under false pretenses")である、と結論した。フレッド・バーロー(Fred Barlow)はホープの作品の元友人で支持者で、またメジャー・W・ランプリング=ローズ(Major W. Rampling-Rose)とともに、ソサイエティー・フォー・ザ・スタディー・オヴ・スーパーノーマル・ピクチャーズ(Society for the Study of Supernormal Pictures)のもとセクレタリー(Secretary)であったが、ソサイエティー・フォー・サイキカル・リサーチ(Society for Psychical Research)の共同講演をおこない、ホープが霊写真を作るのに使用した方法に関する実験の広いシリーズから少しずつ集められた発見物を提示した。彼らは、ホープの複数の写真に現われた複数の霊はいかさまに作られた、と結論した。1933年に、ホープは、この2人組がソサイエティー・フォー・サイキカル・リサーチ(Society for Psychical Research)で彼に対して詳しく事例を提示したとき、信用を傷つけられた。 心霊調査者エリック・ディングウォール(Eric Dingwall)はもうひとつの暴露にも注目した。これは、詐欺を見つけたが公表することが出来なかったジェームズ・ヘワット・マッケンジー(James Hewat McKenzie)を巻き込んだ。ポール・タボリ(Paul Tabori)によれば: 1933年に、ブリティッシュ・カレッジ・フォー・サイキック・サイエンス(British College for Psychic Science)(そこでホープとともにプライスの降霊会が開かれた)の所有者の未亡人は、或る記事のなかで、シッティングののち、彼女の夫がホープの手荷物を調べると「スーツケースの中に電球が取り付けられたフラッシュ電球、いくつかの写真の頭と少しの毛が見つかった」("found in a suitcase a flash lamp with a bulb attached, some cut-out photographic heads and some hair")ということを認めた。これら基本的な事実は1922年に隠され、ウィリアム・ホープは、1944年にフレッド・バーローとW・ランプリング=ローズが、彼らがホープとともに行なった広範な実験のあいだ、彼らが入手したすべての「余分な霊」("spirit extras")はいかさまに作られたはずであると証明するまで、断固として「身を隠して」("laid-low")いなかった」 写真セッションのあいだ、ホープはときどき祈りと宗教的賛歌を実行した。『The Focal Encyclopedia of Photography』のなかのホープのための1969年の書き込みは、彼をつぎのように記述した。「間違いなくスキゾフレニアである。彼の人格の片方には、気の利いて機知に富む、いかにも誠実そうな北国の人がいて、もう片方には祈りと賛歌歌唱をいかさま操作のかくれみにするインチキ霊媒がいた。
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