榊緯(さかきゆたか 1823-1894)
榊緯(榊令輔)は、幕末には蘭学を学び、津藩(藤堂家)に仕官する。安政5年蕃書調所活字御用出役を命じられ幕府に仕える。同所では、市川斎宮とともに活版印刷技術を研究した。1850年に長崎のオランダ商館長から将軍徳川家慶に贈呈され、その後蕃書調所で洋書の印刷に使用されたと伝えられるスタンホープ印刷機が、明治維新ののち沼津兵学校に運ばれた際には、それを操作したらしい。その沼津兵学校で榊は、陸地測量術を教授した。
榊らが教鞭をとった同兵学校と地図測量技術者のかかわりには大きなものがある。同生徒は同兵学校が廃止されたのち陸軍教導団に移った者によって工兵第一大隊が編成されて、多くのものが工兵科の将校や陸地測量部の技師となって陸軍に奉職した。そのほかには、開拓使へ進んだグループがあり、そして内務省土木寮・同省地理寮・農商務省その他の中央官庁で活躍した者の大きく三つの集団が存在した。
榊もまた、沼津兵学校廃止(明治5年 1872)後には上京し、海軍省・地理寮・修史局などにあったが、その詳細は不明である。彼はまた洋画家でもあって、同じ沼津兵学校にの教授であった渡部温が翻訳した「通俗伊蘇普物語」に挿絵を描いている。
子息は、我が国精神病学の開拓者榊俶(さかきはじめ)である。
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