佐伯惟教(さえき これのり) ????~1578
◇父:佐伯紀伊守惟益 養父、祖父:佐伯惟常 子:佐伯弾正少弼惟真、新介惟忠(鎮忠?)
父惟益2男だが、兄中務大輔惟賢が病死して大神一族佐伯氏12代当主となる。豊後・大友氏臣。栂牟礼城主。“二階崩れの変”の際、大友義鎮を奉じて府内を制圧、信任を得る。姓氏の争いの際に、義鎮殺害計画が発覚して出奔、伊予・西園寺公広を頼ったが、後に帰参して許されている。1572年総大将として、西園寺氏攻略に出陣する等各地を転戦した。日向・耳川の合戦において軍師角隈石宗らと慎重論を主張し、田北鎮周らが積極論を主張して意見がまとまらず、結果鎮周らは独断で兵を進め、仕方なしに惟教も攻撃を開始。しかし後背を絶たれて惨敗し、惟教ら多くの大友将士が戦死した。
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