近衛天皇
生後間もなく天皇宣下を受け、崇徳天皇の皇后聖子の養子となり立皇太子。
崇徳天皇の譲りをうけてわずか2歳にして即位し近衛天皇となった。
これは崇徳天皇を疎んでいた鳥羽法皇の意向によるものといわれ、鳥羽法皇と崇徳天皇は摂関家藤原氏や平氏・源氏らの武士団を巻き込んで対立を深めていた。
17歳の若さで近衛天皇が崩御すると、崇徳上皇が実子重仁親王の即位を画策するが、鳥羽法皇によって退けられ、近衛天皇の異母兄で鳥羽法皇の第4皇子で崇徳上皇の同母弟でもある雅仁親王(後白河天皇)が即位した。
後白河天皇即位後、保元の乱に代表されるように平氏・源氏の武士団の存在が大きなものとなってゆく。
第76代天皇 | |
天皇名 | 近衛天皇 |
読み方 | このえてんのう |
名・諱等 | 体仁親王 |
読み方 | なりひとしんのう |
時代区分 | 古代 |
天皇在位 | 1141年から1155年 |
生年 | 1139 |
没年 | 1155 |
父 | 鳥羽天皇 |
母 | 藤原得子 |
兄弟 | 顕仁親王・体仁親王 |
配偶者 | 藤原多子 |
皇子女 | □□□ |
即位宮 | 平安京 |
天皇陵 | 安楽寿院南陵 |
所在地 | 京都市伏見区竹田内畑町 |
近衞天皇 安樂壽院南陵
(このえてんのう あんらくじゅいんのみなみのみささぎ)
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