加納城跡
| 名称: | 加納城跡 | 
| ふりがな: | かのうじょうあと | 
| 種別: | 史跡 | 
| 種別2: | |
| 都道府県: | 岐阜県 | 
| 市区町村: | 岐阜市加納丸の内 | 
| 管理団体: | 岐阜市(昭59・6・21) | 
| 指定年月日: | 1983.10.28(昭和58.10.28) | 
| 指定基準: | 史2 | 
| 特別指定年月日: | |
| 追加指定年月日: | |
| 解説文: | S51-6-017[[加納城]かのうじょう]跡.txt: 加納城は、文安2年(1445)に、美濃国守護土岐将益の執権斎藤利永が築いたのに始まる。その後斎藤氏は主に加納城にあったが、天文7年(1538)に斎藤氏本宗が断絶し、翌年斎藤氏の名跡を襲った長井利政(後の斎藤道三)が稲葉山城に本拠を移すに及んで、加納城は廃された。 慶長5年(1600)、関ヶ原戦に勝利をおさめた徳川家康は、西国への押さえとして、旧加納城地を大拡張して築城し、奥平信昌を封じた。城主は、奥平・大久保・松平と転々し、永井氏3万2千石の代に明治維新を迎えた。 城はいわゆる平城で、本丸・二の丸・三の丸・南の丸等から成り、東・南・西は河川を利用して外堀とし、総構えの大手門を丸の内の北に設けてあった。現在、二の丸以下はほぼ市街地となったが、東部に取出丸をつくって凸形を成す本丸と四囲の堀・石垣・土塁が良く遺存しており、近世平城の貴重な遺構となっている。 | 
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