かつてのクルドの旗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/19 00:31 UTC 版)
オスマン帝国時代、クルディスタンにはクルド人アミールによる世襲制の首長国がいくつかあり、自治の幅は様々ながら、国境に近く勢力も強い部族の首長国は大幅な自治を得ていた。19世紀に入りオスマン帝国の中央政府による統治が強まるとこれらの部族は反発を強め、オスマン帝国が崩壊すると独立を宣言して国を成立させた。 1816年から1835年にかけて現在のイラク北部で完全独立を宣言したソラン首長国(英語版)(スラン首長国)、1922年から1924年にかけて現在のイラクのスレイマニヤで独立を宣言したもののイギリス委任統治領メソポタミア(後のイラク)の一部とされイギリス軍により滅ぼされたクルディスタン王国(英語版)は、現在のクルディスタンの旗とは異なるデザインの旗を使用していた。1927年から1931年にかけてトルコ東部に生まれ短命に終わったアララト共和国(英語版)は三色の旗を使用したとされる。 ? ソラン首長国、 1816 - 1835 ? クルディスタン王国、 1922 - 1924 ? アララト共和国の架空の旗、 1927-1930 ? マハバード共和国、1946 ? シリア領クルドの旗 2012-2013
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