『The Top 5 Reasons You Can't Blame... 』
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「ハリー・フレイジー」の記事における「『The Top 5 Reasons You Can't Blame... 』」の解説
2005年、ESPNクラシック放送の『The Top 5 Reasons You Can't Blame... 』においてトレードについて分析し、なぜフレイジーが球団を所有し続けられなかったのかを解説した。 第5、第一次世界大戦: 戦中、登録選手が激減し、ルースは投手と外野手を兼任し、ホームラン・ヒッターとなった。選手たちが戻ってくる頃にはルースのホームランが話題になっており、ルース自身もう投手をする気がなくなり、球団内でもルースの存在は大きくなっていた。 第4、バン・ジョンソン: 1901年のアメリカンリーグ創立時からの会長で、クリーブランド・インディアンス、デトロイト・タイガース、フィラデルフィア・アスレチックス、セントルイス・ブラウンズ、ワシントン・セネタースの5球団に圧力をかけ、フレイジーがヤンキースとホワイトソックスとしか交渉できないようにした。 第3、ベーブ・ルースの奇行: 夕方バーで過ごすことが多く、試合数時間前にも飲酒することがあった。何度か試合をすっぽかし、1919年度を最後にレッドソックスを離れた。 第2、エド・バロー: フレイジーの右腕であるバローはゼネラルマネージャーおよび監督を兼任した。フレイジー同様バローもルースがいかにトラブルメーカーであるかを知っていた。ルースのヤンキースへのトレード時、バローには希望の選手がいなかった。奇妙な展開としてバローは1920年度終了後レッドソックスを離れ、他ならぬヤンキースのゼネラルマネージャーとなり、レッドソックスからトレードされた7名の選手たちと共に1923年のワールドシリーズでヤンキースを優勝に導いた。 第1、ベーブ・ルースの放出: 1919年度終了後、ルースはそれまでの2倍の年俸2万ドルを要求した。この間ルースはボクシングや俳優など他の道も模索していた。フレイジーは1918年度、1919年度共にルースにボーナスを与えていたためこの要求に落胆した。ルースはこれまで試合をすっぽかすなど複数の要因があり、要求が高すぎたためフレイジーは放出以外の選択肢を考えられなくなっていた。 フレイジーはルースとホワイトソックスのジョー・ジャクソンとのトレードを望んでいたが、ブラックソックス事件により計画倒れとなった。
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