『FFXII』の製作と途中降板
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「松野泰己」の記事における「『FFXII』の製作と途中降板」の解説
坂口博信の推薦で『ファイナルファンタジーXII』のプロデューサー、ディレクター、シナリオを当初担当(坂口博信はエグゼクティブプロデューサー)。それと並行して、クエストのゲーム事業がスクウェアへ譲渡された縁で、旧クエストのメンバーと合流。彼らがメインで開発した『ファイナルファンタジータクティクスアドバンス』のプロデューサーや原案を務めた。しかし、『FFXII』の開発途中でメディアの露出が無くなり、2005年3月に執行役員から解任。同年8月、病気療養による降板が発表され、取締役員の河津秋敏がエグゼクティブプロデューサーに就任し、開発体制は変更。松野は監修・原案となった。 のちにスクウェア・エニックスはユーザーのEメールへの回答で「2005年8月末をもって退職した」と発表している。松野はTwitter上でユーザーに退社理由を聞かれ、病気療養による降板という公式情報以上でも以下でもなく、ファンや各関係者に迷惑をかけてしまったことに対するけじめを取ったと答えている。海外メディアへのインタビューにおいて河津は、上記2作の参加とシナリオの遅れが『FFXII』製作遅延の原因と語っているが、『電撃PlayStation』Vol.406のインタビューにおいてはディレクターの伊藤が、バトルシステムの構築にはそのくらいの時間が必要だったとも語っている。
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