『意志と表象としての世界・続編』から晩年へ
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「アルトゥル・ショーペンハウアー」の記事における「『意志と表象としての世界・続編』から晩年へ」の解説
1843年(55歳)、『意志と表象としての世界』の続編が完成。この年、フリードリヒ・ドルグードが自著『観念的実在論の誤れる根拠』で、世界歴史上の重要な思想家としてショーペンハウアーの名をあげている。1844年(56歳)、『意志と表象としての世界』正編第二版ならびに『続編』がブロックハウス書店より、書店側はショーペンハウアーに原稿料を払わないとすることで刊行される。ヴィースバーデンの弁護士ヨーハン・アウグスト・ベッカーがショーペンハウアーと哲学的な文通を始め、ショーペンハウアーの学説の支持者となると、1845年(57歳)、フリードリヒ・ドルグードが『真理に立つショーペンハウアー』なる著書をあらわす。同年ショーペンハウアーは『余禄と補遺』Parerga und Paralipomenaを書き始め、翌1846年(58歳)7月より哲学博士ユリウス・フラウエンシュテットとの親密な交際が始まる。1847年(59)、学位論文『根拠の原理の四つの根について』の「著しく改正かつ増補した」第二版がヘルマン書店から刊行される。1848(60歳)、フリードリヒ・ドルグードが「統一としての世界」という論文を発表し、その中でショーペンハウアーの体系が「一つの教訓詩の形であらわされている」と述べている。
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