『廣瀬中佐』の歌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 17:43 UTC 版)
広瀬に関する歌が多数ある。最もよく知られているのは文部省唱歌『廣瀬中佐』で、1912年(明治45年)『尋常小学唱歌 第四学年用』に初出。作詞作曲不詳。(※著作権失効済) 轟く砲音(つつおと)、飛来る弾丸(だんがん)。荒波洗ふ デッキの上に、闇を貫く 中佐の叫び。「杉野は何処(いずこ)、杉野は居ずや」。 船内隈なく 尋ぬる三度(みたび)、呼べど答へず、さがせど見へず、船は次第に 波間に沈み、敵弾いよいよあたりに繁し。 今はとボートに 移れる中佐、飛来る弾丸(たま)に 忽ち失せて、旅順港外 恨みぞ深き、軍神廣瀬と その名残れど 他に、以下のようなものがある。 大和田建樹作詞・納所弁次郎作曲:『廣瀬中佐』 一言一行いさぎよく、日本帝国軍人の、鑑を人に示したる、廣瀬中佐は死にたるか 巖谷小波作詞・曲は『日本海軍』を流用:『廣瀬中佐』 神州男子数あれど、男子の内の真男子、世界にしめす鑑とは、廣瀬中佐のことならん 大和田建樹作詞・田村虎蔵作曲:『軍神廣瀬中佐』 生きては敵を恐れしめ、死しては軍の神となる、廣瀬中佐の功名は、武人のかがみ国の花
※この「『廣瀬中佐』の歌」の解説は、「広瀬武夫」の解説の一部です。
「『廣瀬中佐』の歌」を含む「広瀬武夫」の記事については、「広瀬武夫」の概要を参照ください。
- 『廣瀬中佐』の歌のページへのリンク