『伝道の書』の翻訳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/21 06:14 UTC 版)
オーウェルが述べていることの一例として、オーウェルによる『コヘレトの言葉』第9章11節の「翻訳」がある。 “ I returned and saw under the sun, that the race is not to the swift, nor the battle to the strong, neither yet bread to the wise, nor yet riches to men of understanding, nor yet favour to men of skill; but time and chance happeneth to them all. (私は再び陽の下に見た。速い者が競走に勝ち、強い者が戦いに勝つとは限らず、賢い者がパンにありつくのでも、聡い者が富を得るのでもないし、器用な者が好意に恵まれるのでもない。しかし時と機会は誰にでも与えられている)” これが「現代英語でも最悪の種類の文章」では、以下のようになる。 “ Objective considerations of contemporary phenomena compel the conclusion that success or failure in competitive activities exhibits no tendency to be commensurate with innate capacity, but that a considerable element of the unpredictable must invariably be taken into account. (現時点での諸現象の客観的な問題は競合的活動における成否が生得の能力に見合う傾向を示さないという帰結を強制するが、予測不能な要素の可能性を普遍的に考慮せねばならない)” 聖キプリアン校におけるオーウェルの教官の一人であったシシリー・エレン・フィラデルフィア・ヴォーアン・ウィルクス夫人(旧姓コミン、「マム」や「フリップ」の愛称で呼ばれていた)は、生徒に良文の書き方を説明するのに同じ方法を用いていた。ウィルクス夫人は欽定訳聖書にある単純な文章を抜き出して、オリジナルの文の明快さと素晴らしさを示すために、それを下手な英語に「翻訳」して見せていたと言う。
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