「NO FEAR」結成
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1999年、アックスボンバーを自らの必殺技とすると、大森も上昇のきっかけをつかむ。同時期、なかなか王道プロレスになじめないでいた高山善廣とのタッグを結成すると、双方の伸び悩みの種だった粗さが良い方に回転し始め、ふっ切れたように派手な(ぎこちない)アピールを繰り返し、今までの全日本になかった異色のタッグとして頭角を現す。 そしてNO FEARというチーム名を名乗り始めた直後、ハヤブサ・新崎人生組からアジアタッグ王座を獲得したのに続き、ジョニー・エース&バート・ガン組をも破り、世界タッグ選手権王座も獲得した。全日本プロレスが管理するタッグのベルトを同時に保持するという史上初の快挙を成し遂げたのである。 2000年には、チャンピオン・カーニバルのトーナメント1回戦でその1ヶ月前にシングルで三沢超えを果たし、優勝候補に挙げられていた秋山と対戦、入場時の秋山を襲い、わずか7秒(ゴングの鳴る前を加えると約30秒)で下すという伝説的勝利を挙げた。準決勝でもスティーブ・ウィリアムスが試合前のロープチェックをしている時に大森がアックスボンバーで奇襲、激怒したウィリアムスの激しい場外戦も切り抜け、アックスボンバーで沈め決勝進出を果たし日本武道館のメインのシングル戦に挑んだ。決勝では小橋健太に敗れ準優勝に終わるが、大森も三沢光晴が率いる「新生全日本」の象徴となる活躍を見せた。 8月、三沢らと共に新設されたプロレスリング・ノアへ移籍。2001年12月には高山とのタッグでGHCタッグ王座を獲得するも、初防衛戦で敗退となった。以降、高山との方向性の違いも表面化し、「あばよ!」の言葉を残してタッグチームを解消した。
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