「C101」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 09:29 UTC 版)
「ヴェルナー・ブライトシュベルト」の記事における「「C101」」の解説
「メルセデス・ベンツ・C111」も参照 1968年当時、ダイムラー・ベンツのかつてのレース部門(Rennabteilung)の責任者で、伝説的なエンジニアとして知られていたルドルフ・ウーレンハウトが、ヴァンケルエンジン搭載車両の開発計画である「C101」という試作車プロジェクトを進めていた。 「C101」は1968年末に完成したが、試作車であるため、そのボディは間に合わせのものだった。ダイムラー・ベンツのボディ開発の全体を統括しており、ブライトシュベルトの上司でもあるカール・ヴィルフェルト(英語版)はC101のボディのみすぼらしさに不満を持ち、ブライトシュベルトとともに新たなボディの開発を始めた。 この際、あくまで実用車としての範囲で(可動フラップなどは使わず)ドラッグの少ないボディワークとすることを条件として設計が進められた(スタイリングの実作業はブルーノ・サッコとヨーゼフ・ガリッツェンドルファーによって行われた)。設計自体は2ヶ月弱の短期間で仕上がったが、問題は当時のメルセデス・ベンツ車にはない流麗なボディを製造する方法であり、当時のメルセデス・ベンツ車(乗用車)では用いられていないグラスファイバーが用いられることになり、その製造のため、ブライトシュベルトは製造ノウハウを持つトラック部門に協力を要請して実現した。新たなボディを与えられたC101は、「C111」に改名されて発表された。 1971年にはブライトシュベルトはボディ開発部門においてヴィルフェルトに次ぐ副責任者に任命され、そのヴィルフェルトの引退に伴い、1974年に同部門の責任者に昇進した。
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