「29」との縁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 06:10 UTC 版)
1960年に行われた第29回衆議院議員総選挙に、河野金昇の死後、後継として出馬して一期務めた未亡人河野孝子の後継者として出馬。応援演説に来た井出一太郎が放った「サイフは落としてもカイフは落とすな」というキャッチフレーズで人気が沸騰し当選した。 この時29歳であったことから「29回総選挙に29歳で初当選したから、29年後には総理大臣になる」と公言していた。しかし自民党内では傍流である三木派に属していたため当時は総理になること自体が現実味のある話とは見做されておらず、また本人も講演会などの挨拶における半ば冗談交じりのネタとして用いていた。 ところが、後に前述の条件が重なったことにより、初当選から奇しくも29年後の1989年に公言通り総理大臣就任が実現した。 総理就任から一ヶ月後、大相撲で通算勝ち星記録を更新した横綱・千代の富士貢に国民栄誉賞を授与したが、この直前、大相撲九月場所で千代の富士は29回目の優勝を達成しており、かつ授与式が行われたのも9月29日であった。
※この「「29」との縁」の解説は、「海部俊樹」の解説の一部です。
「「29」との縁」を含む「海部俊樹」の記事については、「海部俊樹」の概要を参照ください。
- 「29」との縁のページへのリンク