「赤旗の歌」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 03:34 UTC 版)
コンネルは、1889年のロンドン・ドック・ストライキ(英語版)の最中に、SDFの集会で演説しようとして、社会主義のためのアンセムを書こうと思い立った。彼は、チャリング・クロス駅から、自宅のあったサウス・ロンドン(英語版)のオナー・オーク(英語版)駅までの列車の中で歌詞を書いた。通説では、駅員がプラットホームで赤い信号旗を上下する仕草を見て、歌詞を思いついたとされている。この歌詞は、ドイツ語のクリスマス・キャロル「もみの木 (O Tannenbaum)」として知られ、メリーランド州の州歌にも流用されている「Lauriger Horatius」の旋律で歌われるのが普通になっているが、もともとコンネルは、古いスコットランド民謡のジャコバイトの歌である「The White Cockade」の旋律で歌うことを求めていた。 1920年に書かれた「How I Wrote "The Red Flag"(私はどのように「赤旗の歌」を書いたか)」という文章の中で、コンネルは次のように述べている 。 この歌が末長く生き残ると思ったかって? もちろんだよ、最後の行に書いた通りだ。「This song shall be our parting hymn(これ告別の歌ぞ)」この行のところはかなりの時間を使って色々考えた。考えすぎていないかと自問自答もした。しかし、この歌を書くことで、自分自身の思考や感覚の最善を尽くしただけでなく、自分の知る本物の社会主義者すべての思考や感覚の最善を表現したのだと思った。... 最後の行は、そのまま残すことに決めた。
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