「要塞戦車」時の計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 02:37 UTC 版)
「FCM F1」の記事における「「要塞戦車」時の計画」の解説
1940年2月28日、戦車設計の研究のため新しく「Commission d'Études des Chars」(戦車研究委員会)が設けられた。将来のフランス戦車生産のため一貫性のある方針を作り出すことが目的である。委員会では3種類の車重に基づいた等級を計画した。最も重いものは「Char de Forteresse」、直訳すれば要塞戦車である。この車両は車体に135mmまたは155mm榴弾砲を載せ、砲塔に75mmか90mm砲を載せる「シュペールシャール B」として想定された。その装甲は全周が100mmから120mm厚になるものとされた。にもかかわらずその車重はおよそ80tから100tと極めて楽観的に予想された。駆動は1000馬力のエンジンによる。5月14日、搭載可能な135mmもしくは155mm口径砲が存在しないため、本車は計画打ち切りの決定が下された。
※この「「要塞戦車」時の計画」の解説は、「FCM F1」の解説の一部です。
「「要塞戦車」時の計画」を含む「FCM F1」の記事については、「FCM F1」の概要を参照ください。
- 「要塞戦車」時の計画のページへのリンク