「要素」の表示
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 14:09 UTC 版)
「テアイテトス (対話篇)」の記事における「「要素」の表示」の解説
続いて、第2の「言論」の「機能」として、ソクラテスは「「要素」を表示する機能」を挙げる。 例えば、ヘシオドスは『仕事と日々』456行で「車(四輪車)を作るのに「百の材木」が要るのに、それすら知らぬ愚か者」といったことを言っているが、通常我々は「車(四輪車)」とは何であるかと問われたら、「車輪、車軸、車台、車較(車箱)、車轅」などを挙げるのがせいぜいであり、ちょうど誰かの名前を問われて曖昧/大雑把にしか答えられないのと同じ状態にある。 しかし、(そうした「束/綴り」や、それより大雑把な水準に留まらずに)「言論」を通じてその「要素」(とそれからなる「全体」)を極め尽くせば、その者はその事柄についての「心得者(識者)」ということになるし、その思いなしは「真なる思いなし」と言っていいものになると、ソクラテスは指摘する。テアイテトスも同意する。 しかしソクラテスは、「要素」の列挙/集合では、対象の単一性/個別性の表現としては不十分であり、まだ「知識」と呼べる域には達していないことを指摘する。テアイテトスも同意する。
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