「正宗抹殺論」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 04:01 UTC 版)
明治時代には「正宗は存在しなかった。あるいは存在したとしても凡工にすぎなかった」とする、いわゆる「正宗抹殺論」が唱えられたこともあった。明治29年(1896年)、当時刀剣鑑識家として名高く、宮内省の御剣掛を務めていた今村長賀は、「読売新聞」に連載した談話記事の中でおおむね次のように主張した。 古来、正宗には在銘正真の作刀を見たことがなく、もし在銘の正宗があれば、それはまがい物である。 正宗が名工と言われ出したのは豊臣秀吉の時代以後のことで、それ以前の文献では名工とはされていないし、それ以前の武将が正宗の作刀を差料としていたという話も聞かない。 足利義満の時代に、当時の目利きであった宇都宮三河入道に選ばせた名工182工の中にも正宗という名前は入っていない。 正宗というものは、秀吉が政略的意図から本阿弥家(代々刀剣研磨と目利きを業とした家)に指示してでっち上げたものであろう。
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