「小林ハム兄弟商会」の創業
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「小林栄次」の記事における「「小林ハム兄弟商会」の創業」の解説
栄次は二十歳で結婚。彼の母親は、すでに病気がちであった。父は苦労をかけた妻に対し、せめて倅の嫁に看病させたい、それが妻に対する恩返しだ、という切実な願いを抱いていた。そのため、この父の願いを聞き入れぬわけにはいかないと、まだ若かったが思い切って結婚に踏み切った。 1932年(昭和7年)に、東京府荏原郡荏原町(同年10月に東京市荏原区に変更、現・品川区)で九尺二間の家を借り、「小林ハム兄弟商会」を創業した。「兄弟商会」は、三番目の義兄半三郎を呼んで、一緒に仕事をやってもらっていたことに由来する。半三郎は、ローマイヤ―技師が故郷のドイツに帰国した時に、一切の責任をもって工場を切り回していた。そういう関係もあって、一般のお客からは絶大な信用を持たれていた。お得意は初め、山の手方面が多く、青山、赤坂方面の肉屋を専門に対象として彼は自転車で駆け回った。やがて、隣接の家をすべて改装して工場にする。当時流行しかけたアンモニア式冷蔵庫を導入した。信州の縁故関係から、従業員を4、5人雇った。こうして事業は目に見える形で順調に発展していった。
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