「安福号」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/05 20:05 UTC 版)
飛騨牛がここまでブランド化できたのは、一頭の雄牛「安福号」の功績が大きい。 安福号は1980年(昭和55年)4月1日に兵庫県美方郡村岡町(現香美町)で生まれた但馬牛である。1981年(昭和56年)6月16日に県有種雄牛として岐阜県が購入し、7月21日に、当時の上松陽助岐阜県知事により「安福号」と名付けられた。1993年(平成5年)9月28日に死亡する。 繁殖母牛として使われる雌牛を含めて39,000頭余りの子ができたが、そのうち飛騨牛になったのは2割5分から3割である。子孫のうち「飛騨白清」、「白清85の3」、「広景福」が飛騨牛の種雄牛として知られている。 現在も精子は凍結保存され使用されているが、安福号の遺伝子に頼りすぎたため、遺伝的な問題が発生するおそれがあった。このため遺伝子検査などの結果で判明した問題のある交配は行わないなどの指導により問題は解消されている。 2008年(平成20年)までに岐阜県畜産研究所飛騨牛研究部は、安福号のクローン牛を4頭誕生させた。
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