「千里」の適否
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 02:41 UTC 版)
テキストによっては冒頭を「千里」でなく「十里」とするものもある。明の楊慎は『升庵詩話』で、唐人の詩集には訛字が多く訂正されることも多いとした上で「千里も離れた鶯の鳴き声を聞いたり緑紅を見たりするのは不可能で、十里ならば村々や酒旗や寺院楼閣と共にそれらを見聞きできる」と、もともと「十」だったものを後世の俗人が勝手に一筆加えて「千」に改変し台無しにしたと主張した。一方、清の何文煥は「そもそも題が『江南の春』であり、要するに江南の千里四方、どこへ行っても鶯が鳴ていて緑紅も映え、どこの村々にも酒旗がはためき、寺々の楼台も春雨に煙っているということだ。ただ一か所の情景を詠んだのではなく、ひろく江南全体を指して題を付けてあるのだ」と主張した。 この作品は杜牧の詩文集『杜樊川集』では「江南道中春望」(江南の旅での春の眺め)と題されており、起句は長い道中の折々で目にした情景と解しても無理はない。
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