「リンゴ送れ、C」事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/12 22:01 UTC 版)
「宇宙友好協会」の記事における「「リンゴ送れ、C」事件」の解説
松村は1960年(昭和35年)から1962年(昭和37年)の間にポールシフトとそれに伴う大洪水が起こるという終末論を主張するようになる。その際には、会員とその家族の元には「リンゴ送れ、C」というメッセージが届き、それを受け取ったらあらかじめ指示された地点に集合するよう通達がなされた(Cは、カタストロフィ(catastrophe)の頭文字である)。そこで彼らは飛来したUFOによって救済されるのだとされた。 しかし1960年(昭和35年)1月、この情報が平野威馬雄によってマスコミに漏れ、一大スキャンダルとなる。この結果、3月に松村はいったんは会長を辞任したが、この騒動が原因でジョージ・アダムスキー信奉派であった久保田が本協会から脱退して、日本GAPを結成。さらに内部抗争が続いて退会者が相次ぎ、再び松村は代表に復帰した。 CBAの終末論への批判が空飛ぶ円盤愛好家全般に及ぶことを恐れた他の団体と対立が深まった。現在でもなおこの事件は「日本UFO史の暗部」とみなされており、超常現象研究家などからはCBAそのものの存在が「なかったこと」にされている。 CBAはカルト色をいっそう強め、反天皇制を主張し、宗教団体「生長の家」とも対立するようなり、被害妄想的な陰謀論を主張するようになる。
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