「ポルタヴァ」時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 07:01 UTC 版)
「丹後 (戦艦)」の記事における「「ポルタヴァ」時代」の解説
のちに丹後となるポルタヴァ(ロシア語:Полтаваパルターヴァ)はポルタヴァ級艦隊装甲艦のネームシップとして建造。1894年(明治27年)11月6日、進水。1898年(明治31年)に竣工後、ロシア帝国海軍に編入された。ロシア海軍における類別は艦隊装甲艦(Эскадренный броненосец)で、いわゆる前弩級戦艦と評価される。 ポルタヴァは1904年(明治37年)に始まった日露戦争では旅順艦隊に所属しており日本海軍の旅順口攻撃に対応して戦い、4月13日にマカロフ中将が姉妹艦のペトロパブロフスクの触雷沈没で戦死した時にも出港している。黄海海戦に参加し損害を受け敗戦後は旅順に帰港。12月、203高地からの観測により28cm榴弾砲の曲射砲撃を受ける。後部左舷側砲火薬庫に被弾し炎上、注水して消火した上に右舷後部側にも亀裂を生じその漏水のため後部から着底する。ロシア側は自爆で破口を増やしほぼ水平に戻して着底させ、満潮時にはほぼ上甲板まで沈む状態になった(日本側は沈没認定)。
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