「サンデー・ストリップ」の掲載形態をめぐる争い
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「ビル・ワターソン」の記事における「「サンデー・ストリップ」の掲載形態をめぐる争い」の解説
ワターソンはデビュー当時主流だったサンデー・コミック・ストリップ(英語版) の掲載形態に批判的だった(程度の差こそあれ、現在でも事情は変わっていない)。コマ割りは3段8コマで、通常サイズで新聞の半ページを占めるのが、サンデー・ストリップの基本レイアウトであった。1990年代になると、新聞各紙は不況に陥り、紙面を節約するためシンジケートから購入したコミックのサイズを切り詰めるようになった。常套的に行われていたのは、最上段を丸ごとカットする方法だった。その場合でも支障なく読めるようにするため、ワターソンは最上段の2コマを独立したギャグに使わざるを得なかった。ワターソンは最初の長期休業から復帰するにあたり、半ページサイズで印刷しなければ意味が通らないようなレイアウトで描く自由を認めるようシンジケートと交渉した。UPSは作品の配信を半ページに限定することに同意したが、この決定は新聞社から怒りを買った。ワターソンは新聞編集者のみならず同業の漫画家からも批判を受けた(ワターソンは彼らを「頼まれもしないのに喧嘩を売りたがる」と評した)。最終的にUPSは譲歩して、新聞社が紙面に合わせてフルサイズ半ページか縮小サイズのどちらかを選べるようにした。ワターソンは自分の行動が多くの新聞にスペースの損失を強いたことを認めたが、長い目で見ればこれでよかったのだと主張した。読者は購読料に見合う良質なコミックを読めるのだし、編集者は自分の責任で掲載を打ち切ることもできた。それに、誰もが求める漫画を描いたからといって謝るつもりはない、というのが彼の見解だった。
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