西区 (新潟市) 地理

西区 (新潟市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/11 05:16 UTC 版)

地理

新川新潟砂丘

新潟県の北西部、信濃川関屋分水とその支流である中ノ口川の西に位置し、区内を新川が縦断、西川が横断している。海岸沿いの地区は新潟砂丘のため比較的標高が高くなっているが、それ以外は平坦な水田地帯となっている。

地域

西区には内野や大野といった古くからの商業集積地をはじめとする生活拠点が区内各地にあるものの、区全体から人が集まる中心市街地は特にない。旧新潟市域のうち国道402号新潟市道曽和インター信濃町線(西大通り、旧116号)、JR越後線県道16号(旧116号・弥彦街道)、市道大堀線(大堀幹線。かつての大堀幹線排水路上に整備されたことに由来する)などの鉄道・幹線道路を中心に、中央区に接する青山から小針寺尾坂井を経由して内野西部に至る間、いわゆる坂井輪・内野地区のほぼ一帯が住宅地となっており、市内中心部のベッドタウンとして機能している。これらはかつて畑地と水田だったが、1960年代後半から急速に市街地化・宅地化が進捗したものである。青山、小新、小新大通、槇尾など、地区内には郊外型の大型ショッピングセンターがいくつかある。

地区

坂井輪地区
1960年代前半までは、旧内野町の中心地である内野町の市街地が最も大きく、行政・商業の中心地でもあった。しかし1960年代後半以降、市内中心部により近い坂井輪地区(青山小針寺尾)で住宅地開発が急速に進捗。人口も後に坂井輪地区が内野地区を抜いて西地区最大となった。坂井輪地区はのちに西地区から分割して単独の地区割りとなり、寺尾地内に坂井輪地区事務所が設けられた(現在の西区役所分館)。1980年代に入ると、内野町中心部にあった内野町郵便局は老朽化した上、施設・設備が手狭となり毎日集配される莫大な郵便物を処理しきれなくなったことから、新たな集配局として新潟西郵便局が寺尾朝日通地内に設けられた(これに伴い、もとの新潟西郵便局は新潟中郵便局に改称した)。さらに内野警察署も1962年(昭和37年)に坂井砂山に移転新築し「新潟西警察署」に改称した(その後、さらに手狭となったため郊外の流通センターに移転。現在旧西警察署庁舎は県警機動捜査隊庁舎に転用された)。1984年(昭和59年)には国鉄(当時)越後線が全線電化を果たして運行本数も大幅に増加、鉄道の利便性も大幅に向上した。こうした坂井輪地区の開発進捗には、1964年(昭和39年)の新潟地震で坂井輪地区周辺の被害が比較的少なかったことや、国道116号の旧区間(現在の市道曽和インター信濃町線、西大通り)の開通、新潟大学の移転などが大きく影響したともいえる。また、内野町の弥彦街道沿いの旧市街地では新たな開発が困難であるという事情もあった。
内野地区
「内野四ツ角」交差点(2020年6月)
1970年代からは、旧赤塚村域を含む内野西部でも住宅開発が進捗し「平和台団地」「中浜団地」をはじめとする大規模な住宅地が形成された。また2004年(平成16年)には内野駅西側に内野西が丘駅が開業。同駅を中心とした住宅地「パレットタウン西新潟」の開発が進められている。
赤塚地区
内野から西側の赤塚地区、内野から南西側の中野小屋地区は農村部で、幹線道路や河川に沿って集落が続いている。このうち中野小屋地区の越後赤塚駅周辺では1990年代以降、住宅開発が急速に進捗しており、同駅周辺と隣接するみずき野にある新潟国際情報大学を中心に大規模な住宅団地が形成されている。
赤塚地区の木山北側に位置する四ッ郷屋は、2005年の新潟市編入以前は巻町の町域であった。四ッ郷屋はかつて旧木山村の一部であったが、明治の大合併時に赤塚村となった他地区と分かれ、角田村の一部となった。昭和の大合併時に角田村が巻町と合併したため巻町の町域となったが、前述の経緯もあって、生活圏は現在に至るまで赤塚地区と一体となっている(但し旧巻地区であることから、現在も一部の行政業務が西蒲区の管轄下で行われている)。なお、旧巻町で2002年(平成14年)春に町村合併構想が頓挫した際には、四ッ郷屋単独で境界変更による新潟市への編入合併を望む声が上がったこともあった。
中野小屋地区
西川を中心に集落が広がる農村地帯。小見郷屋にある越後赤塚駅周辺に住宅地が広がる。
黒埼地区
大野町の商店街
2001年(平成13年)、新潟市に編入した黒埼地区の中心地は大野町。この大野町を中心とした市街地・集落が国道8号など幹線道路沿いと中ノ口川左岸側に続いている。また黒埼北部の寺地立仏山田では1970年代から大規模な住宅開発が進められ、坂井輪地区の平島・小針・小新などとほぼ一体の生活圏を構成している。黒埼地区にも山田などに、郊外型店舗の集積地がある。
北陸自動車道・鳥原バス停は、同自動車道で最も停車数の多いバス停であり、県外、そして市中心部への「足」として多く利用されている。下り車線側は、新潟市のパークアンドライドとして駐車場(駐車台数400台)駐輪場等が整備されている。
新潟西バイパスの全線開通以降、同バイパスのインターチェンジ周辺では住宅地や商業地の開発が進められている。西バイパス・亀貝ICから小新ICに掛けての南側には県・市などにより開発が進められた流通センターがあり、市内外の企業が製造・販売・物流の拠点を置いている。
地区西部の板井では「みどりと森の運動公園」が建設された。旧黒埼町が新潟市に編入する際、市の合併建設計画によって整備されたもので、2011年(平成23年)7月2日[2]に竣工した。

住居表示

住居表示は坂井輪地区の多くと内野地区の一部、赤塚地区のみずき野、黒埼地区のときめき等で施行されている(但し黒埼地区の住居表示はいずれも虫食い状で、完全なものではない)。中野小屋地区で住居表示を施行している地域はない。また前出の流通センターは旧黒埼町との市町境上にある上、開発時期によって複数の地名が混在しており(流通センター、流通、緒立流通、的場流通など)、住居表示が非常に煩雑になっている。

また、区内には「大野」という地名が2箇所存在する。坂井輪地区西側には大野(おおの)が、黒埼地区中心部には大野町(おおのまち)がある(大野町は、黒埼町編入前は全く同一の「大野」であったが、2001年(平成13年)に編入した際、混同を避けるため町名整理を行い改称した)。同一区内に類似した地名が存在するため、特に土地鑑のない他市町村の住民は混同しやすいといわれている。ただ通常新潟市周辺では単に「大野」と言った場合、後者の大野町を指す事が多い。また大野町方面に至る新潟交通の路線バスの行先・経由地も単に「大野」と表示されている。なお2010年(平成22年)1月現在、双方とも住居表示は施行されていない。

公園

公園[3]
海水浴場[4]
  • 青山海岸海水浴場
  • 内野浜海水浴場

歴史

市制施行から現在までの合併の経緯
昭和の大合併

内野町を核として、中野小屋村・赤塚村との3町村で1自治体という方針だったが、内野町五十嵐地区住民が町を割ってでも新潟市編入を希望したこともあり、内野町が新潟市編入へ方針転換、残る中野小屋村・赤塚村も新潟市に編入することとなった。

政令市移行前
政令市移行後






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