綾瀬車両基地 綾瀬車両基地の概要

綾瀬車両基地

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/07 08:02 UTC 版)

綾瀬車両基地

概要

本車両基地は綾瀬駅から北に約2.5 km ほど離れており[1]、その引き込み線を旅客営業用として千代田線北綾瀬支線として使用している。北綾瀬支線の終点、北綾瀬駅を直進すると綾瀬車両基地に至る。

敷地は南北方向に約 720 - 780 m [2]、東西方向に 190 m [1]、面積 141,810 m2 の広大な敷地を有している[1]

地下鉄の新線建設にあたり、車庫用地の取得は重要であるため、千代田線建設計画が具体化した時点で用地取得を開始した[3]。この車庫用地は元々が田畑や沼地などの湿原地帯であったため[2][1]、地盤が非常に軟弱沈下が激しい場所であった[2][1]。また、周辺は荒川花畑運河中川といった河川に囲まれていることから、車庫建設にあたっては、水害洪水)対策として[3]千代田線建設工事(主に北千住駅 - 新御茶ノ水駅間)で発生した残土(約 420,000 m3 )を用いて、約 2.5 m の盛土をして造成を行った[2][1]

用地買収を行った際、地権者との条件から付近に駅を設置すること[4]と、横断歩道橋2か所を設置することが条件とされたため[1]、綾瀬検車区の最南部と中央付近に横断歩道橋がある[4][3]。なお、中央部の横断歩道橋については2014年に地下道に代替され、撤去されている[5]

なお、前述した駅の設置条件は北綾瀬駅を設置することで、綾瀬 - 北綾瀬駅間を1979年昭和54年)12月20日に正式に旅客営業線として開業した。車庫線建設当初から、北綾瀬駅の用地確保と構造物が建築可能な構造とされていた[3]

将来、車庫中央部を都市計画道路補助258号線が横断する計画があったことから、車庫内に高架道路の橋脚を造るスペースを確保していた[3]。ただし、2008年(平成20年)12月に開通した補助258号線(環七北通り)は、当車両基地の地下をアンダーパス(「加平谷中トンネル」)で横断する構造に変更された[6]

綾瀬検車区

1969年(昭和44年)9月に準備事務所として発足し、12月に綾瀬検車区として正式に発足した[1]。当初は千代田線車両のみを担当していた。

有楽町線開業後は同線内に飯田橋検車区が設けられていたものの、同線用の7000系の主要な検車業務(月検査・一部の列車検査)および清掃作業は綾瀬検車区で行っており、車両の留置場所の確保も兼ねていた[7]1987年(昭和62年)の和光検車区開設後、これらの役目は同検車区に移管されている。

現在も有楽町線や副都心線南北線の車両の新車搬入の各種整備や報道向け公開は本検車区で行われている。隣接する綾瀬工場への入場のために、有楽町線、副都心線や南北線、埼玉高速鉄道の車両が入区する。

  • 敷地面積:141,810m2 [8]
  • 車両留置能力:273両

最終的な収容計画は以下のとおりで、10両編成41本(410両)である[8]。ただし、現在も余力があるため、留置線はすべて敷設使用していない。

  • 月検査庫 10両×2線
  • 気吹庫 10両×1線
  • 列車検査庫 10両×3線
  • 転削庫 1線
  • 車両洗浄台 10両×3線
  • 車両洗浄機 2基(現在まで1基)
  • 引上線 10両×4線
  • 留置線 10両×33線(現在は24線を使用、9線は未使用)

本車両基地の最終計画、収容数10両編成41本、朝ラッシュ時の出庫本数は10両編成35本(計画)にもなり、営団地下鉄(当時)では これだけ大規模な車両基地は前例がない[1]。このため、本検車区の建設・レイアウトの配置にあたっては、国鉄(当時)の電車区や私鉄の検車区、既存の営団検車区を参考に、十分な検討・検証が行われた[1]

配置車両

綾瀬車両基地で開催された東京メトロスマイルフェスタ2010にて。左より16000系、06系、6000系

過去の配置車両

 2015年(平成27年)8月9日に新木場に回送され、廃車になった。なお同年1月28日の運用を最後に、運用を離脱していた[10][11]

綾瀬工場

1971年(昭和46年)7月に綾瀬工場が発足した。千代田線有楽町線副都心線南北線埼玉高速鉄道の車両の検査を担当している。

ただし、綾瀬工場が完成する前に車両の工場検査時期を迎えたことから[1]、1970年(昭和45年)10月から約10か月間、綾瀬検車区の気吹室(後述の29番線、小修理場と仮設の修繕庫を設置)を使用して重要部・全般検査が実施されていた[1]

従来の営団では1路線1工場を設けてきたが、将来的に他路線の検査も受け持つことを計画したため、年間検修能力1,500両程度を持つ工場として造られた[12]。綾瀬工場についても、検車区同様に国鉄・私鉄・営団の整備工場を参考に検討・検証が行われた[12]

綾瀬工場が設立された当時の法定検査周期は重要部検査が1年6ヵ月または走行距離25万km以内、全般検査は3年以内であった[12]。その後は検査周期の延長が行われ、現行の1999年平成11年)3月改定以降は重要部検査が4年または走行距離60万km以内、全般検査は8年以内となっている。このため、現在ではこの施工能力は不要となっている。

入出場線(工場建屋)は縦に5両まで入線でき、左右に5両分ずつの車体置き場があり、天井クレーンを使用して車体は仮置きされ、整備される[12]。 整備対象の機器は取り外され、それぞれの担当職場へと運ばれる。検修能力を高めるために工場内は流れ作業で検査作業を行えるよう合理的にレイアウトされている[12]

工場内は山側に機器職場 主制御器、補助電源、一般電機、パンタグラフ、戸閉装置(ドアエンジン)の各職場を、海側に台車職場、電動機職場、駆動装置、車輪職場を配置する[12]。ただし、現在は電動機、パンタグラフ、戸閉装置などの検査は、東京メトログループ会社のメトロ車両に委託しており、これらの機器は同社の千住事業所に運搬して、検査を行っている[13][14]

綾瀬工場の通用門は当初、工場事務所近くに設置することとなっていた[12]。しかし、急きょ用地交渉の関係で設置ができなくなり、現在のような通用門と事務所が離れた位置となった[12]

検査担当車両

千代田線

有楽町線・副都心線

南北線

過去の検査担当車両

千代田線

有楽町線・副都心線


出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 帝都高速度交通営団『東京地下鉄道千代田線建設史』pp.1027 - 1044。
  2. ^ a b c d 帝都高速度交通営団『東京地下鉄道千代田線建設史』pp.514 - 515。
  3. ^ a b c d e 帝都高速度交通営団『東京地下鉄道千代田線建設史』pp.428 - 429。
  4. ^ a b 帝都高速度交通営団『東京地下鉄道千代田線建設史』pp.472 - 475。
  5. ^ あだち広報 2014年(平成26年)2月25日(第1679号)
  6. ^ 土木学会第60回年次学術講演会(平成17年9月)「車両基地直下でのパイプルーフ工法による道路トンネルの施工」 (PDF) (インターネットアーカイブ・2021年時点の版)
  7. ^ 帝都高速度交通営団『東京地下鉄道千代田線建設史』p.1022 。
  8. ^ a b c d e f g h i j k 帝都高速度交通営団『東京地下鉄道千代田線建設史』pp.1062・1063 間「図92 綾瀬車庫平面図」(ただし、Web版はやや不鮮明)。
  9. ^ 車籍登録抹消されている。(日付は不明)
  10. ^ 【東京地下鉄】06系、新木場へ - 鉄道ホビダス RMニュース、2015年8月13日
  11. ^ 東京メトロ06系の解体が始まる - 交友社「鉄道ファン」 railf.jp鉄道ニュース 2015年9月25日
  12. ^ a b c d e f g h i j k l 帝都高速度交通営団『東京地下鉄道千代田線建設史』pp.1044 - 1070。
  13. ^ 日本鉄道車両機械技術協会「R&m」2005年7月号国内情報「千住検修場(旧千住工場)改修工事完了」pp.55 - 58。
  14. ^ 事業所案内(千住事業所) - メトロ車両。
  15. ^ a b 帝都高速度交通営団『東京地下鉄道千代田線建設史』pp.46 - 47。
  16. ^ a b 帝都高速度交通営団『東京地下鉄道千代田線建設史』pp.690 - 698。
  17. ^ a b 東京地下鉄『東京地下鉄道副都心線建設史』p.838。
  18. ^ a b 帝都高速度交通営団『東京地下鉄道千代田線建設史』pp.1062・1063 間「図92 綾瀬車庫平面図」には、綾瀬工場南側に「将来トラバーサーピット」および「将来車体職場」と記載されている。56番線奥には「台車抜き場(リフティングジャッキ)と平面トラバーサーおよび車体検査場1・2」が記載されている。
  19. ^ 帝都高速度交通営団「東京地下鉄道有楽町線建設史」pp.1037 - 1062。
  20. ^ a b c d e f g 帝都高速度交通営団『東京地下鉄道千代田線建設史』p.435 - 436 。
  21. ^ 帝都高速度交通営団『東京地下鉄道千代田線建設史』p.41。
  22. ^ a b c 帝都高速度交通営団『東京地下鉄道千代田線建設史』p.607 - 608 。
  23. ^ 帝都高速度交通営団「東京地下鉄道千代田線建設史」p.452の「図20 代々木公園駅」の平面図には、同駅地下1階部(線路およびホームは地下2階・代々木上原方面行線路の南側)にピット構造を有する引き上げ線が記載されている。
  24. ^ pp.436 - 437 間の「別図 千代田線線路平面図及び縦断面図(明治神宮前・代々木上原間)には10両編成8本の留置線と、代々木公園駅手前まで引き上げ線が記載されている。
  25. ^ 帝都高速度交通営団『東京地下鉄道千代田線建設史』pp.691。
  26. ^ a b c 帝都高速度交通営団『東京地下鉄道千代田線建設史』pp.1019- 1021。

注釈

  1. ^ 3両編成は1次試作車、10両編成は1次量産車第02編成


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