燕 (春秋) 朝鮮史との関係

燕 (春秋)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/28 09:48 UTC 版)

朝鮮史との関係

紀元前195年燕太子丹の成員の一員あるいは遼東豪族とみられる燕人の衛満[2] は、盧綰に従わずに古朝鮮に亡命し、朝鮮の歴史上最初の国家である衛氏朝鮮を建国した[3]

北朝鮮の大寧江長城は、北朝鮮では高麗時代の築造と主張するが、閻忠は、その遺物相などから、燕の長城とみている[4]。これらの地域には、燕の遺物およびの遺物を含む遺構がみられるのが、特徴であり、朝鮮への燕の進出がうかがわれる[4]

日本史との関係

倭との関係

山海経』海内北経に、「蓋国在鉅燕南倭北。倭属燕」という一節がある。蓋国の位置について述べた文であるが、蓋国についてはいろいろな説がある[注釈 2] ため、ここでいう倭の位置については確定しない。また「属する」の意味も、普通に倭は燕の属国だったという一般的な解釈と、十二分野説での燕分に属するの意味とする説とがある。いずれにしろ、『山海経』の中でも海内北経は紀元前後の成立と推定されており、倭に関する最古の記録の一つであることに違いはない。

歴代君主


朝鮮の歴史
考古学 朝鮮の旧石器時代朝鮮語版
櫛目文土器時代 8000 BC-1500 BC
無文土器時代 1500 BC-300 BC
伝説 檀君朝鮮
古朝鮮 箕子朝鮮
辰国 衛氏朝鮮
原三国 辰韓 弁韓 漢四郡
馬韓 帯方郡 楽浪郡

三国 伽耶
42-
562
百済
高句麗
新羅
南北国 熊津都督府安東都護府
統一新羅
鶏林州都督府
676-892
安東都護府

668-756
渤海
698
-926
後三国 新羅
-935

百済

892
-936
後高句麗
901
-918
女真
統一
王朝
高麗 918-
遼陽行省
東寧双城耽羅
元朝
高麗 1356-1392
李氏朝鮮 1392-1897
大韓帝国 1897-1910
近代 日本統治時代の朝鮮 1910-1945
現代 連合軍軍政期 1945-1948
アメリカ占領区 ソビエト占領区
北朝鮮人民委員会
大韓民国
1948-
朝鮮民主主義
人民共和国

1948-
Portal:朝鮮

召公奭

  1. 燕侯克
  2. 燕侯旨
  3. 燕侯舞
  4. 燕侯憲
  5. 燕侯和
  6. ?
  7. ?
  8. ?
  9. ?
  10. 恵侯(前864年 - 827年)
  11. 釐侯(荘、前826年 - 791年)
  12. 頃侯(前790年 - 767年)
  13. 哀侯(前766年 - 765年)
  14. 鄭侯(前764年 - 729年)
  15. 繆侯(前728年 - 711年)
  16. 宣侯(前710年 - 698年)
  17. 桓侯(前697年 - 691年)
  18. 荘公(前690年 - 658年)
  19. 襄公(前657年 - 616年)
  20. 桓公(前617年 - 602年)
  21. 宣公(前601年 - 587年)
  22. 昭公(前586年 - 574年)
  23. 武公(前573年 - 555年)
  24. 文公(前554年 - 549年)
  25. 懿公(前548年 - 545年)
  26. 恵公(款、前544年 - 536年)
  27. 悼公(前535年 - 529年)
  28. 共公(前528年 - 524年)
  29. 平公(前523年 - 505年)
  30. 簡公(前504年 - 493年)
  31. 孝公(前492年 - 455年)
  32. 成公(前454年 - 439年)
  33. 閔公(前438年 - 415年)
  34. 簡公(載、前414年 - 373年)
  35. 桓公(前372年 - 362年)
  36. 文公(前361年 - 333年)
  37. 易王(脮、前332年 - 321年)
  38. 燕王噲(噲、前320年 - 318年)
  39. 子之(前317年 - 314年)
  40. 昭王(職、前312年 - 279年)
  41. 恵王(戎人、前278年 - 272年)
  42. 武成王(前271年 - 258年)
  43. 孝王(前257年 - 255年)
  44. 燕王喜(喜、前254年 - 222年)

に滅ぼされる

脚注


注釈

  1. ^ 史記』燕世家では周王朝と同姓の「姫姓」としているが、殷墟から発掘された『卜辞』および『史記索隠』が引く『竹書紀年』よれば南燕国は姞姓であることから、北燕も姫姓だとする説も有る。
  2. ^ その具体的な位置については諸説がある。後の玄菟郡の「蓋馬」(西蓋馬県、蓋馬大山など)とする説、遼東半島の「蓋平」(現在の遼寧省営口市蓋州市)とする説、鉅燕を『史記』の「全燕」と同じとみて、山東半島の「蓋」(現在の山東省淄博市沂源県)とする説、朝鮮半島江原道の「(わい)」とする説、馬韓の「乾馬」(現在の全羅南道益山市)とする説など。それらの諸説の違いによって、推測されるの位置も大きく違ってくる。

出典

  1. ^  史記 匈奴列傳第五十 (中国語), 史記/卷110, ウィキソースより閲覧。  - 其後燕有賢將秦開,為質於胡,胡甚信之。歸而襲破走東胡,東胡卻千餘里。與荊軻刺秦王秦舞陽者,開之孫也。
  2. ^ “위만조선 衛滿朝鮮”. 斗山世界大百科事典. オリジナルの2020年8月17日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20200817182507/https://www.doopedia.co.kr/doopedia/master/master.do?_method=view&MAS_IDX=101013000854869 
  3. ^ 甘懐真 (2009年6月). “東北亞古代的移民與王權發展:以樂浪郡成立為中心” (PDF). 成大歷史學報 (国立成功大学) (36號): p. 83-84. オリジナルの2020年2月16日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20200216221821/http://www.his.ncku.edu.tw/chinese/uploadeds/364.pdf 
  4. ^ a b 田中俊明『『魏志』東夷伝訳註初稿(1)』国立歴史民俗博物館〈国立歴史民俗博物館研究報告 151〉、2009年3月31日、363頁。 


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