松平容保 孝明天皇下賜の宸翰・御製

松平容保

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/10 04:33 UTC 版)

孝明天皇下賜の宸翰・御製

上述の通り、八月十八日の政変の際に孝明天皇より賜った宸翰(孝明天皇宸翰)には、京都守護職である容保の職務精励を嘉する文章があり、いかに孝明天皇が容保を信頼していたかを物語っている。宸翰・御製の内容は以下の通り。

宸翰
堂上以下陳暴論不正之所置増長付痛心難堪

下内命之処速ニ領掌憂患掃攘朕存念貫徹之段

仝其方忠誠深感悦之餘右壱箱遣之者也

文久三年十月九日
御製
たやすからさる世に武士(もののふ)の忠誠のこゝろをよろこひてよめる
  • 和(やわ)らくも たけき心も相生(あいおい)の まつの落葉のあらす栄へむ
  • 武士と こゝろあはしていはほをも つらぬきてまし世々のおもひて

登場する作品

小説

映画

テレビドラマ

ゲーム

  • 維新の嵐 - 全シナリオにおいてプレイヤーとして選択できる。

アニメ

ドラマCD

  • 歴史ロマン朗読CD 城物語 松平容保と会津若松城(コズミックレイ、2013年)[76]
  • 彼岸獅子の入城(花春酒造、2014年)[77]

関連項目


注釈

  1. ^ 容保の隠居後に、養嗣子の松平喜徳が家督を継ぎ会津藩主になったとみなすかどうかについては、見方が分かれる。
  2. ^ 神号「土津霊神」に由来する呼称
  3. ^ この時点で徳川慶喜はまだ将軍に就任していない。8月20日に徳川宗家の相続のみ行い、12月5日に将軍宣下を受けてようやく将軍に就任している。
  4. ^ 列藩重役による白石会議を経た閏4月12日、伊達慶邦上杉斉憲の両藩主により、会津藩家老名による『嘆願書』及び『会津藩寛典処置嘆願書』『諸藩重臣副嘆願書』の三通を九条総督に手渡している[60]
  5. ^ 但し会津藩も仙・米両藩による恭順、開城の説得を簡単には受け入れないなど強硬的な態度であった。
  6. ^ 日露戦争において乃木希典の副官を務め、出師営の会見に同行している。なお息子の貞夫は陸軍中尉としてインパール作戦に従軍し戦死。高木俊朗によると、その死は花谷正に自決を強要されたものであった[64]
  7. ^ 当時の慣習としては、婚約、幕府の認可、結納を経ていれば、婚儀の一部は成立しているとみなされるため、系図上は継室と記される。
  8. ^ 会津戦争によって藩内を戦火に巻き込んだことも災いした。

出典

  1. ^ 『京都守護職始末』p7
  2. ^ 『松平容保』p24-28
  3. ^ a b c 『松平容保』p264
  4. ^ a b c d 『京都守護職始末』略年譜p7
  5. ^ 『京都守護職始末』p5-6
  6. ^ 『京都守護職始末』p6
  7. ^ 『京都守護職始末』p21-23
  8. ^ 『京都守護職始末』p26-27
  9. ^ 『京都守護職始末』p28-33
  10. ^ 『京都守護職始末』p34-35
  11. ^ 『京都守護職始末』p38-39
  12. ^ 『京都守護職始末』p43
  13. ^ 『京都守護職始末』p44-50
  14. ^ 『京都守護職始末』p52-53
  15. ^ 『京都守護職始末』p72-76
  16. ^ 『会津藩庁記録』
  17. ^ 『京都守護職始末』p89-90
  18. ^ 『京都守護職始末』p91-94
  19. ^ 『京都守護職始末』p96-99
  20. ^ 『京都守護職始末』p104-105
  21. ^ 『京都守護職始末』p160-166
  22. ^ 『京都守護職始末』p181-183
  23. ^ 『京都守護職始末』p184-209
  24. ^ 『京都守護職始末』p212-214
  25. ^ 『京都守護職始末』p219
  26. ^ 『京都守護職始末』p219-221
  27. ^ 『京都守護職始末』山川浩著/東洋文庫49/p221~p227
  28. ^ 『京都守護職始末』p6-10
  29. ^ 『京都守護職始末』p13-17
  30. ^ 『京都守護職始末』p17
  31. ^ 『京都守護職始末』p18-29
  32. ^ 『京都守護職始末』p31-33
  33. ^ 『京都守護職始末』p34-39
  34. ^ 『京都守護職始末』p40-49
  35. ^ 『京都守護職始末』p50-55
  36. ^ 『京都守護職始末』p70-71
  37. ^ 『京都守護職始末』p68-98
  38. ^ 『京都守護職始末』p100-106
  39. ^ 『京都守護職始末』p110
  40. ^ 『京都守護職始末』p112-118
  41. ^ 『京都守護職始末』p120-121
  42. ^ 『京都守護職始末』p120-134
  43. ^ 『京都守護職始末』p136-160p
  44. ^ 『京都守護職始末』p166-168
  45. ^ 『京都守護職始末』p170-182
  46. ^ 『京都守護職始末』p183
  47. ^ 『京都守護職始末』p184-194
  48. ^ 『京都守護職始末』p194-202
  49. ^ 『京都守護職始末』p204-205
  50. ^ 『京都守護職始末』p205-206
  51. ^ 『京都守護職始末』p208-219
  52. ^ 『京都守護職始末』p225-226
  53. ^ 山川 1930, pp. 236–238, 下巻.
  54. ^ 山川 1930, pp. 243–244, 下巻.
  55. ^ 山川 1930, pp. 245–246, 下巻.
  56. ^ 守護職所司代ヲ廃シ松平容保松平定敬ニ命シ禁門ノ警衛ヲ罷メ速ニ帰国セシム」 アジア歴史資料センター Ref.A15071466500 
  57. ^ 山川 1930, pp. 255–274, 下巻.
  58. ^ 『昔夢会筆記』
  59. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション『防長回天史』第6篇上 246頁
  60. ^ 佐々木克 『戊辰戦争 敗者の明治維新』102-103頁
  61. ^ a b c 中西達治 2010, p. 221.
  62. ^ 『官報』第1351号「叙任及辞令」1887年12月28日。
  63. ^ 『官報』第3132号「叙任及辞令」1893年12月6日。
  64. ^ 『戦死 インパール牽制作戦
  65. ^ 『七年史』北原雅長著
  66. ^ 『会津こぼれ草』益田晴夫編『美男におわす松平容保』1952年
  67. ^ a b 『京都守護職始末』
  68. ^ 『同志社談業』第20号『新島八重子刀自懐古談』
  69. ^ 『会津史談会誌』第21号『〇藩公の御帰城に関する領内民衆の請願書』
  70. ^ 『福島の進路』第392号:2015.4「戊辰戦争後の松平容保―御小姓が記録した後半生―」p45-48
  71. ^ 磯田道史『龍馬史』文藝春秋、2010年。ISBN 4163730605 
  72. ^ 中須賀哲朗・訳「英国公使館員の維新戦争見聞記」より
  73. ^ 『男爵山川先生遺稿』「14 忠誠神君の御逸事」
  74. ^ 『男爵山川先生遺稿』「15 英照皇太后陛下より忠誠神君へ牛乳を賜りしこと」
  75. ^ 『西忠義翁徳行録』
  76. ^ 歴史ロマン朗読CD「城物語 松平容保と会津若松城」 - COSMICRAY”. 2016年5月24日閲覧。
  77. ^ ドラマCD「彼岸獅子の入城」(追加情報あり)”. 萌えの桜. 2014年10月8日閲覧。


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