東洋大学 社会との関わり

東洋大学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/13 06:31 UTC 版)

社会との関わり

哲学堂

朝霞キャンパスにある四聖像レリーフ

東京都中野区にある哲学堂公園は、元々哲学館大学の移転先として確保されていた土地である[90]。創立者である井上円了はこの土地を大学へ譲渡していたが、引退後に大学から買い戻して哲学を感じることのできる公園として整備をした。こうした関係から、東洋大学では井上円了の遺言に従って以下の概要で哲学堂祭を挙行している。

  • 毎年11月の第1土曜日に開催。
  • 哲学堂に祭られている四聖(孔子釈迦ソクラテスカント)を順番に一人ずつ取り上げて講演を行い、哲学の思想普及に努める。
  • 参加者には、甘茶珈琲紅茶を振る舞う。

鉄道駅名

1904年以降の電車の開通までは、交通機関として板橋から万世橋まで往復の乗合馬車があったが、馬車は哲学館前に来ると、「鶏声ヶ窪哲学館前」と乗降客に連呼して知らせたという[91]

1914 - 15年頃、曙町停留所を東洋大学前とする学生の働きかけがあったが、千人以上の学生がいなければと東京市から断られた[92]。当時はまだ170 - 180名程度の学生数に過ぎなかった。

戦前から昭和30年代にかけての受験案内や鉄道地図では東洋大学の最寄停留所を曙町としているものが多く、旺文社の『全国大学大観』(昭和30年版)でも「国電巣鴨または水道橋駅より都電にて5分曙町下車」と記されている。

現在では東洋大学白山キャンパスの最寄り駅は都営三田線白山駅または千石駅東京メトロ南北線本駒込駅となっている[93]

川越、朝霞とキャンパス開設時には東武鉄道へ駅名の変更(鶴ヶ島駅→東洋大川越キャンパス前、朝霞台駅→朝霞東洋大前)を要請したが、いずれも受け入れられなかった[要出典]。また、営団地下鉄(東京メトロ)南北線開業時にも本駒込駅を東洋大前にするように働きかけたようだが[要出典]地元地名が付けられた。そのため、板倉キャンパス開設時に「板倉東洋大前駅」という名前の駅が出来たことは東洋大学関係者にとっては悲願達成だったらしく[要出典]、板倉キャンパス開学式典で当時理事長だった塩川正十郎は駅名が付いた喜びを語っていたほどである[要出典]

放送通信教育

東洋大学では1950年代後半にテレビジョンを使用した学内教育およびを実現するための研究が行われていた。文学部社会学科の米林富男を中心に大学教育におけるテレビの利用研究が行われていたが、その後遠隔地での大学通信教育にテレビを使用する研究が中心となっていった。1950年代当時、在日米軍が使用していたVHF12チャンネルが返還されるらしいという情報を元に東京証券取引所会員各証券会社は、証券取引に関する情報を東京都内の各証券会社支店へ配信するために日本証券テレビの設立を検討していた。東洋大学では日本証券テレビの空き放送時間帯を利用して大学通信教育を実施しようという計画を持っていた。さらにテレビ放送と同時にラジオ放送による通信教育も検討されており、1958年7月には超短波FM試験電波の割り当て申請を行っている。12月20日に東洋大学に学内放送用のスタジオを設置した際には超短波でテレビ・ラジオともに試験放送の送出可能な設備が設置された。まずは超短波放送からスタート、将来的にはテレビ放送も実施してラジオ・テレビの両面から勤労学生や社会人が学習できる環境を構築しようという壮大なものであった。この構想自体は、各大学の大学教員が教鞭をとり、テレビとFMラジオで講義を実施している現在の放送大学とかなり酷似しているが米林の構想が母体となっているかどうかは不明である。また、米林の論文によれば、将来的には首都圏の各大学が得意とする分野を分担して担当する大学教育放送局を立ち上げる構想もあり、塩狩北海道)・仙台大阪福岡に支局をつくるという具体的なプランまで示されていた。さらに文部省はこの構想に興味を示しており、実際に1958年までの数年間にわたって、研究助成金を出していた。また、郵政省も電波行政の観点から大学による教育放送局に賛成しており、東洋大学と東海大学の試験局には一部補助金も拠出していた。

その後、超短波FM放送の試験放送自体は実施されたが、日本証券テレビ構想の挫折、郵政省と文部省の方針転換、VHF12チャンネルがなかなか返還されなかったことなどが重なったことからテレビ放送を断念することとなった。当初よりラジオのみの構想であった東海大学がFM東海から実放送局(→FM東京。現在のTFM)へ発展できたとは異なり、テレビ放送を念頭に置いていた東洋大学は構想の縮小を余儀なくされ、学内ケーブルテレビを使用した学内向けの放送授業へ転換することとなった。

夜間学部

東京23区内に所在する大学キャンパスのうち、東洋大学だけが全文系学部において夜間学部を継続して設置している[注 18]。さらに日本全体で「役割を終えた」として夜間学部を廃止する方向にある[94] 中、夜間学部の拡充に努めている極めて珍しい大学となっている。具体的には、2001年には社会学部に第2部社会福祉学科を新規設置した[95]。また、2009年4月に郊外型の板倉キャンパスから都心へ移転した国際地域学部には、移転時点では夜間部が設置されていなかったが、2010年に国際地域学部国際地域学科を2専攻とし、地域総合専攻を夜間部として開設した[96]


注釈

  1. ^ a b c 公式ページには東洋大学総合スポーツセンターとして紹介されているが、財産目録 (PDF) 上の正式名称は清水町キャンパスである。
  2. ^ これらの文言は、井上円了が1887年6月に発表した『哲学館開設ノ旨趣』には見られない。
  3. ^ 初期の著作である『哲学一夕話』第一篇の序三頁に、「純正哲学は哲学中の純理の学問にして、心理の原則、諸学の基礎を論究する学問というべし」とある。
  4. ^ 井上が1887年6月に発表した『哲学館開設ノ旨趣』では「哲学ハ学問世界ノ中央政府」と述べている(創立五十年史, p. 11)。
  5. ^ 制度上は各種学校であった。『明治時代史大辞典』第2巻(吉川弘文館2012年)836-837頁。
  6. ^ 五大法律学校と総称される専修学校・東京法学校・明治法律学校・東京専門学校・英吉利法律学校はそれ以前から講義録を発行していた(専修大学の歴史編集委員会編 『専修大学の歴史』 平凡社2009年、79-80頁)。
  7. ^ このとき文部省から専門学校への転換または他大学との統合を求められたが、「護国愛理」の建学精神を盾にとってこれを拒んだ(百年史.通史編Ⅰ, p. 1298-1310)
  8. ^ 2013年、第1部インド哲学科・中国哲学文化学科を改組し設置。
  9. ^ a b c d e f 大学側が通常使用している表記では「第1部」は省略しているが、ここでは文部科学省届出名称に従った。
  10. ^ 2017年、英語コミュニケーション学科を改組し設置。
  11. ^ 2013年、第2部インド哲学科を改組し設置。
  12. ^ 2021年、社会文化システム学科を改組し設置。
  13. ^ 2017年、国際地域学部国際地域学科を改組し設置。
  14. ^ 2017年、国際地域学部国際観光学科を改組し設置。
  15. ^ 1963年に日本で初めての短期大学観光学科として設立し、2001年4月に現在の4年制へ。
  16. ^ 2009年、工学部を改組し設置。
  17. ^ 2013年、生命科学部食環境科学科を改組し設置。
  18. ^ 理系では2007年に東京電機大学が未来科学部を設置した際に夜間部を設置しなかったため、東京理科大学がやはり理系としては唯一全学部に設置する存在となっている。

出典

  1. ^ 竹村, 牧男『井上円了 その哲学・思想』春秋社、2017年10月20日、257頁。 The Founding Spirit of Toyo University/建学の理念 | 東洋大学”. www.toyo.ac.jp. 2018年8月30日閲覧。
  2. ^ a b 創立五十年史, p. 54.
  3. ^ 東洋大学八十年史』(1967年)116-117頁
  4. ^ 井上円了『仏教活論序論』(哲学書院、1887年)1-8頁
  5. ^ 「余の教学に関する事業は大小種々あれとも総て護国愛理の二大目的を実行するに外ならさるなり」(百年史.資料編Ⅰ, p. 113-114)
  6. ^ 中島徳蔵先生学徳顕彰会『中島徳蔵先生』(1962年)207-208頁
  7. ^ 三浦節夫(1987) 224.
  8. ^ 「それ哲学は通常理論と応用理論の二科に分つも、要するに理論の学にして、思想の法則事物の原理を究明する学なり。ゆえに思想の及ぶところ事物の存するところ、ひとつとして哲学に関せざるはなし」「純正哲学において論定せるものは、倫理、論理その他の諸哲学の原理原則となり、哲学諸科の論定せるものは、理学、法学その他の諸学科の原理原則となりて、学問世界の中央政府は即ち哲学なり。」(「哲学ノ必要ヲ論ジテ本会ノ沿革ニ及ブ」『哲学会雑誌』一号、二号 明治20年2月、3月)
  9. ^ “「哲学する」姿勢が世界を生き抜く力になる 東洋大学 | 東洋大学” (日本語). 東洋経済オンライン. (2016年4月18日). https://toyokeizai.net/articles/-/100270 2018年9月1日閲覧。 
  10. ^ 精神上の師・勝海舟との出会い 東洋大学報WEB
  11. ^ a b 「東洋大が群馬・板倉から移転 多額の支援した地元は反発」朝日新聞デジタル(2020年3月25日)同日閲覧
  12. ^ 創立五十年史, p. 5.
  13. ^ a b c 歴代学長|Toyo University 2019年12月19日閲覧。
  14. ^ 百年史.通史編Ⅰ, p. 97-115.
  15. ^ 郁文館五十年史』2-6頁
  16. ^ 創立五十年史, p. 50.
  17. ^ 創立五十年史, p. 426.
  18. ^ 創立五十年史, p. 55-56.
  19. ^ 創立五十年史, p. 255.
  20. ^ a b 創立五十年史, p. 56-57.
  21. ^ 創立五十年史, p. 61.
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  37. ^ 中島徳蔵先生学徳顕彰会 『中島徳蔵先生』(1962年)207-208頁
  38. ^ a b 百年史.通史編Ⅰ, p. 1003.
  39. ^ 「本学昇格の附帯要件として予て企図されつゝあつた学部用校舎」(創立五十年史, p. 179)
  40. ^ a b c d e f 社会学部の沿革|Toyo University(2019年12月19日閲覧)
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  42. ^ 「大学令に依る大学昇格に伴ひ、其附帯条件の一として、図書館の建設が含まれてゐた」(創立五十年史, p. 345)
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  67. ^ 校友会の沿革|校友会とは|東洋大学校友会
  68. ^ 学校法人京北学園との合併について
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  93. ^ アクセス・お問い合わせ|東洋大学
  94. ^ 一例として早稲田大学の 教材新聞web 早大、夜間社会科学部廃止
  95. ^ 東洋大学社会学部沿革
  96. ^ 2010年4月、国際地域学科を2専攻体制とし、イブニングコースを開設 - 東洋大学
  97. ^ 学校法人京北学園との合併について[リンク切れ]
  98. ^ 東洋大学グローバルサービス株式会社
  99. ^ 株式会社東洋大学ファシリティーズ






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