東武デハ5形電車 クエ7000形

東武デハ5形電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/04 07:59 UTC 版)

クエ7000形

3000系への更新に伴って不要となったモハ3210形3240・3244の車体を流用し、車体中央部を無蓋化した上で復旧作業用クレーンや各種機材を搭載し、予備品の省形釣り合い梁式TR11台車を装着して落成した。改造はクエ7001が1966年(昭和41年)3月、クエ7002が1971年(昭和46年)6月にそれぞれ津覇車輌工業で施工された。更新に際してモハ3210形としての車籍は3000系に継承されていることから、2両とも新製名義で落成している。

本形式は車種記号が示す通り動力を搭載していないことから、救援出動や移動の際は5700系・78系などの自動空気ブレーキ仕様車との連結を必要としたが、機材用電源確保のためパンタグラフおよび電動発電機 (MG) を搭載していることが特徴である。

旧番対照
旧番 改造後
旧モハ3244 クエ7001
旧モハ3240 クエ7002

本形式は本線と東上線に1両ずつ配備され、1971年(昭和46年)12月には54系の3050系への更新に関連して2両ともに台車を住友金属工業KS33Eに換装した。もっとも、2両ともほぼ運用機会を得ることなく、晩年は資材置き場として使われた後、クエ7002は1978年(昭和53年)に、クエ7001は1986年(昭和61年)にそれぞれ廃車となり、しばらく留置された後いずれも解体処分された。

脚注

参考文献

  • 青木栄一・花上嘉成「私鉄車両めぐり(44) 東武鉄道 その1」『鉄道ピクトリアル』第115号、鉄道図書刊行会、1961年2月、pp.45 - 52。 
  • 青木栄一・花上嘉成「私鉄車両めぐり(44) 東武鉄道 その2」『鉄道ピクトリアル』第116号、鉄道図書刊行会、1961年3月、pp.39 - 45。 
  • 花上嘉成「私鉄車両めぐり(44) 東武鉄道 補遺1」『鉄道ピクトリアル』第179号、鉄道図書刊行会、1966年1月、pp.62 - 66。 
  • 花上嘉成「私鉄車両めぐり(44) 東武鉄道 補遺2」『鉄道ピクトリアル』第180号、鉄道図書刊行会、1966年2月、pp.62 - 67。 
  • 中川浩一「私鉄高速電車発達史 (13)」『鉄道ピクトリアル』第192号、鉄道図書刊行会、1967年1月、pp.35 - 38。 
  • 慶應義塾大学鉄道研究会 編『私鉄ガイドブック・シリーズ1 東武・東急・営団』、誠文堂新光社、1967年1月、pp.5 - 107。 
  • 青木栄一・花上嘉成「私鉄車両めぐり(91) 東武鉄道」『鉄道ピクトリアル』第263号、鉄道図書刊行会、1972年3月、pp.66 - 98。 
  • 花上嘉成「私鉄車両めぐり(99) 東武鉄道・補遺」『鉄道ピクトリアル』第283号、鉄道図書刊行会、1973年9月、pp.59 - 65。 
  • 東京工業大学鉄道研究部 編『私鉄車両ガイドブック2 東武・東急・営団』、誠文堂新光社、1978年8月、pp.16 - 107・282 - 293。 
  • 吉田修平「私鉄車両めぐり(118) 東武鉄道」『鉄道ピクトリアル』第392号、鉄道図書刊行会、1981年7月、pp.167 - 187。 
  • 吉田修平「東武鉄道 車両履歴資料集」『鉄道ピクトリアル』第537号、鉄道図書刊行会、1990年12月、pp.218 - 237。 
  • 花上嘉成「東武3000系ものがたり」『鉄道ピクトリアル』第627号、鉄道図書刊行会、1996年10月、pp.97 - 103。 
  • 青木栄一「東武鉄道の旧形電車回顧」『鉄道ピクトリアル』第799号、鉄道図書刊行会、2008年1月、pp.135 - 143。 
  • 鉄道ピクトリアル編集部「東武鉄道の旧形車」『鉄道ピクトリアル』第799号、鉄道図書刊行会、2008年1月、pp.192 - 196。 
  • 『日本車輛製品案内 昭和三年 鋼製車輛』、日本車輛製造、1928年、p.61。 



注釈

  1. ^ a b 本系列の製造年代を考慮すると、落成当初はES500番台(東洋電機製造の独自開発モデルに付される型番)ではなくES150番台(イングリッシュ・エレクトリック社のライセンス製品に付される型番)の制御器が搭載されていたと推定されるが、落成当初の搭載機器が不明であるため、本項では晩年搭載した制御器の型番を記載する。
  2. ^ a b 1927年(昭和2年)から翌1928年(昭和3年)にかけて落成した汽車製造製の車両のみ、車体側面裾部の切り込みがないという特徴を有する。
  3. ^ 一部の車両については副運転室が設置されていない片運転台仕様で落成したとする資料も存在し、特にデハ35・36については副運転室付近にロングシートの撤去跡が存在したと指摘されている。
  4. ^ デハ21 - 36についても落成当初は正運転室側妻面も貫通構造であり、後述合造車化改造に際して同時に非貫通化改造が実施されたとする資料も存在する。
  5. ^ a b c d e 前期合造車型クハユ3ならびに後期合造車型デハ90は、いずれも汽車製造において焼損車体をそのまま修繕する形で復旧工事が施工されたが、出場時に両者の車番の振り替えが実施された。これはデハ90が荷物室を存置したまま復旧工事が実施されたのに対し、クハユ3は復旧工事に際して荷物室を撤去されたことによるものであるが、同改番は汽車側の手違い、すなわち荷物室を存置したデハ90と荷物室を撤去したクハユ3を取り違えたことによって生じた錯誤が原因であると指摘する資料も存在する(『鉄道ピクトリアル 第115(1961年2月)号』 pp.50・52)。なお、「デハ90」として竣功したクハユ3、「クハユ3」として竣功したデハ90とも、現車はいずれも動力を持たない制御車であり、後年の大改番まで車番の修正が実施されることなく運用された。
  6. ^ 事故被災等による復旧名義であると推測されるが、詳細は不明である。
  7. ^ 残る1両はクハ430形434であった。
  8. ^ モハ3210形を例に取ると、1961年(昭和36年)3月当時に東上線へ配属されていた19両(モハ3210 - 3228)については、全車とも副運転室・トイレならびに副運転室側パンタグラフ撤去が施工されており、モハ3210 - 3217については前面貫通構造化も施工済であった。一方で同時期の本線所属車両については、前述接客設備改善工事を施工された6両(モハ3230 - 3233・3235・3236)を除くと、モハ3239・3247の2両に対して副運転室・トイレの撤去が施工されていたのみであり、前面貫通構造化を施工した車両は存在しなかった。
  9. ^ モニ1170を名義上の種車として製造された3000系サハ3682(後サハ3212)は心皿荷重制限の都合上種車の装着したブリル27-MCB-2を流用せず、予備品の省形釣り合い梁式台車TR11を装着した。

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