服部良一 (政治家)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/29 13:56 UTC 版)
服部 良一 はっとり りょういち | |
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生年月日 | 1950年2月24日(73歳) |
出生地 | 日本 福岡県八女市 |
出身校 |
久留米大学附設高等学校 京都大学法学部(中退) |
前職 |
昭和起重機従業員 総評全国金属昭和起重機(労働組合)支部長 山内徳信参議院議員秘書 |
所属政党 | 社会民主党 |
選挙区 | 比例近畿ブロック |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2009年8月31日 - 2012年11月16日 |
経歴
1950年、福岡県八女市に生まれる。父親は元朝鮮総督府の鉄道敷設の技術者[3]。
1965年、久留米大学附設高等学校入学。
1969年、京都大学法学部に入学。後に中退し、大阪府へ移住[4]。
1973年、大阪の機械メーカー[4]の昭和起重機入社。労働組合に加わり、後に総評全国金属昭和起重機の支部長を務めた。
2007年、第21回参議院議員選挙において、大阪府選挙区(定数3)から社会民主党公認(9条ネット推薦)で出馬したが、6位で落選[5]。同選挙落選後から、山内徳信参議院議員の公設秘書を務める[4]。
2009年、第45回衆議院議員総選挙に比例近畿ブロック単独で立候補する。社民党は比例近畿ブロックで1議席を獲得。大阪10区で当選した辻元清美以外で、重複立候補していた小選挙区の社民党候補者の得票が全員、有効投票総数の10%を下回ったため当選資格を失い、同党比例名簿の下位(4位)に登載されていた服部が初当選した[6]。
2010年1月、社民党常任幹事、国対副委員長に就任。
2012年2月25日、社民党の幹事長選挙に立候補。重野安正の173票に対し、57票で落選した。党常任幹事を退任。同年12月、第46回衆議院議員総選挙に再び比例近畿ブロック単独で立候補する。社民党は同ブロックで議席を獲得できなかったため、落選。
2014年2月、第14回定期全国大会で党常任幹事に復帰。同年12月、第47回衆議院議員総選挙に大阪8区及び比例近畿ブロックから社民党公認で重複立候補するも落選。
2017年10月、第48回衆議院議員総選挙には大阪9区に社民党公認、立憲民主党推薦で出馬した[7]が、選挙区で敗れ、比例復活もならず落選した[8]。
2020年12月、社民党幹事長兼選対委員長の吉田忠智が立憲民主党に合流する意向を示し、離党したことに伴い後任の幹事長兼選対委員長に就任[9][4]。このほか、政策審議会長も兼任していた[10]が、政審会長職については2022年3月に退任した(後任は新垣邦男)[11]。
2022年5月、社民党は同年7月の第26回参議院議員通常選挙に服部を東京都選挙区の候補者として擁立する事を発表[12]。投開票の結果、落選した[13]。
政策
- ^ a b “朝鮮総連「お役に立ちたい」発言の真意は?鈴木宗男氏に話を聞いてみると…”. SAKISIRU(サキシル)| 先を知る、新しい大人のメディア (2022年6月3日). 2023年10月6日閲覧。
- ^ “参院選直前 9党の選挙対策委員長に連続インタビュー|ニコニコインフォ”. 参院選直前 9党の選挙対策委員長に連続インタビュー|ニコニコインフォ. 2023年10月6日閲覧。
- ^ ソウル新聞インタビュー(2011/8/15)
- ^ a b c d e “服部良一プロフィール”. 服部良一. 2023年10月6日閲覧。
- ^ 大阪選挙区第21回参議院議員選挙-JANJAN全国政治家データベース
- ^ 近畿次期総選挙-(第45回衆院選)-JANJAN全国政治家データベース
- ^ “比例中国に秋葉前広島市長=立憲民主、候補78人に【17衆院選】”. 時事通信 (2017年10月9日). 2017年10月9日閲覧。
- ^ “服部良一(小選挙区・大阪府) 【衆議院選挙2017】:読売新聞”. 読売オンライン. (2017年10月22日) 2017年10月26日閲覧。
- ^ “照屋氏は残留、所属議員2人に”. 共同通信. (2020年12月24日) 2020年12月24日閲覧。
- ^ 生存のための政権交代を-服部政審会長が重点政策を解説する-
- ^ “参院選「後のない闘い」 社民大会、副党首に新垣氏”. 日本経済新聞. (2022年3月20日) 2023年10月29日閲覧。
- ^ “社民党、新人2人を擁立 参院選”. 日本経済新聞. (2022年5月11日) 2022年5月12日閲覧。
- ^ “東京 参議院選挙結果・開票速報 参院選2022 - NHK”. 日本公共放送. 2022年7月24日閲覧。
- ^ 朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査、2014年。
- ^ 第180回国会法務委員会議事録
- ^ 2009年衆院選時 朝日新聞アンケート回答
- ^ 連立政権誕生を受け、今こそ立法による解決を!10.28院内集会報告 [1]
- ^ 「韓国・朝鮮の遺族とともに」全国連絡会遺族招へい行動・第3回証言集会|集会等の報告|フォーラム平和・人権・環境 [2]
- ^ “「朝鮮王朝儀軌還収委」レセプション/功労者に記念品授与”. www.jcp.or.jp. 2022年6月17日閲覧。
- ^ 産経新聞[3]
- ^ “韓国水曜デモ1000回アクション”. 週刊金曜日オンライン (2012年1月20日). 2021年3月28日閲覧。
- ^ “韓国水曜デモ1000回アクション 東京行動 報告”. 日本軍『慰安婦』問題解決全国行動. 2021年3月28日閲覧。
- ^ 松村高夫「旧日本軍による細菌兵器攻撃の事実」月刊保団連2012.8.No.1102,全国保険医団体連合会,
- ^ “朝鮮総連「お役に立ちたい」発言の真意は?鈴木宗男氏に話を聞いてみると…”. SAKISIRU(サキシル). 2022年6月17日閲覧。
- ^ a b c d e 公式プロフィール
- ^ [4]
- ^ 「朝鮮王朝儀軌還収委」レセプション 功労者に記念品授与 (しんぶん赤旗)
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