寺田貴信
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/03 15:02 UTC 版)
てらだ たかのぶ 寺田 貴信 | |
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生誕 | 1969年11月11日(53歳) 日本 京都府 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 関西学院大学社会学部卒業 |
職業 | ゲームプロデューサー |
バンダイナムコエンターテインメント(BNEI)のゲームソフト「スーパーロボット大戦シリーズ」(「スパロボ」)をプロデュースしている。かつてはバンプレスト、BNEI子会社のゲーム開発部門・B.B.スタジオに在籍。2021年8月31日にB.B.スタジオを退社し、フリーランスで活動中。
略歴
学生時代
小学校に上がる頃に見た劇場用アニメ『マジンガーZ対暗黒大将軍』に感動し、以降ほとんどのロボットアニメを視聴するようになる[3]。
中学校に入り、周りの友達がアニメから卒業していく中でもアニメの視聴をやめず、表向き興味がない振りをしながらガンダムなどのプラモデルを集めていた[4]。高校、大学では弓道部の主将を務めたが、この二重生活は続いている[4]。当時の寺田は同人誌などの存在を知らなかったため、他人と趣味を共有することなく自己完結していた[4]。
任天堂のマリオクラブに所属していた寺田は、ファミリーコンピュータ用ソフト『第2次スーパーロボット大戦』(当時はバンプレスト社発売)およびスーパーファミコン用ソフト『第3次スーパーロボット大戦』(同様)を発売前にテストプレイしており、マジンガーZとガンダムが共演する独特の世界観で物議をかもしたこれらのソフトを通じて、バンプレストに興味を持っていた[5]。
バンプレスト入社後
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キャラクターを扱った仕事をしたいと漠然と思っていた寺田は、バンダイの玩具部門へ面接を受けに行ったが採用されなかった[1]。そこで今度は、今後成長すると見込んだ[1]ゲーム業界で企画開発を目指して就職活動を行った[4]。文系出身だったためなかなか採用されなかったが、バンダイに面接を受けに行った際に薦められていた[1]バンプレストだけが、企画書に目を通し開発部の内定をもらえたため、バンプレストに就職する[4]。
バンプレストでの面接の際、スーパーロボット大戦シリーズの開発をやる気があるかと聞かれ、面倒臭そうと考えた寺田は特撮のゲームが作りたいと答えていた[1]。しかし、上司から質問された機械獣やモビルアーマーの名前を即答できたことから、スーパーロボット大戦シリーズの開発に配属される[6]。当時の寺田は、スーパーロボット大戦シリーズに対して「SDがイヤだ」や「独特の世界観がなじめない」といった否定的な感情を抱いていた[7](入社4年後のインタビューでは、スーパーロボット大戦シリーズの世界観について「ゲームオリジナルの世界にしかるべき理由があってそれぞれのキャラクターが存在している」「好きですし、納得しています。」と答えている[8])。
スーパーロボット大戦シリーズは当初『第4次スーパーロボット大戦』で完結する予定だったが、制作中にシリーズ継続が決定しバンプレストの初代社長である杉浦幸昌から「もっと売れるようにしろ」「20年続けろ」との指示が出された[9]。これに対し、スーパーロボット大戦シリーズはユーザー層が限定されていてその幅を広げるのは難しいと考えていた[9]寺田は「スパロボみたいな作品が売れたら、世の中おかしいです」と発言したが、「そういうモノが売れる文化を創れ!」と一喝されている[10]。なぜ20年なのかという問いに杉浦は「20年続ければ文化になる。親子で楽しめるようになる。そういう大きな流をつくるために20年続けなさい」と答え、それを聞いた寺田は「継続は力なり」という言葉を念頭に置くようになった[9]。
入社1年目[4]でゲームボーイ用ソフト『第2次スーパーロボット大戦G』のプロデュースを担当。当時のスーパーロボット大戦シリーズは放送終了した懐かしのロボットが出演するゲームというイメージがあったため[11]、それを払拭すべく新しい作品を取り入れようと奔走する。放送中のテレビアニメ『機動武闘伝Gガンダム』と前番組の『機動戦士Vガンダム』を取り入れるよう提案するが、新しいガンダムに馴染みのないスタッフたちに一蹴されてしまう[5]。しかし、あきらめずに『機動武闘伝Gガンダム』のビデオを見せてスタッフを説得[5]。スタッフの中に『機動武闘伝Gガンダム』のファンが増えていき、最終的にはスタッフ側からイベント案の提案が出るまでになった[5]。こうして、新旧のロボット作品が共演するというスタイルが確立され、その後シリーズにも継承されていった。
バンプレストの家庭用ゲームソフト企画開発部門は、1997年にバンプレ企画と統合してバンプレソフトとなり、2011年にベックと合併してB.B.スタジオとなる。寺田はB.B.スタジオ設立以来同社の取締役であったが、2015年3月をもって取締役は辞任し、ゲーム開発に専念することになる[12]。2021年12月、同年8月末を持ってB.B.スタジオを退職していたことを明かす[13]。フリーランスとしてスパロボシリーズにはスーパーバイザーとして関わりつつ、同シリーズ以外の仕事も行っていくという[13]。
人物
外見
新作発表時のインタビューやイベントに顔を出しているため、外見は公表されている。体型は基本的には太り気味だが、忙しさ故に太ったり痩せたりを繰り返している[14]。髪型はかりあげで、2008年頃からは顎鬚を生やしている。メガネを着用しているが、インタビューなどでは外していることが多い。普段着はTシャツにジーンズなどラフな格好が多いが、大きなイベントではスーツを着用している。
柴田亜美の漫画『ドキばぐ』[15]や津島直人が参加したスパロボのアンソロジーコミック[16]に登場した事がある(時期としては1997年の『スーパーロボット大戦F』の頃)。ただし両作家とも写実的な作風ではないため、髪型以外寺田本人には似ていない。
趣味
自身も相当なロボット・特撮マニアであり、影響を受けたロボットアニメ作品として、上記の劇場版『マジンガーZ』以外に『機動戦士Ζガンダム』[4]や『伝説巨神イデオン』[4]なども挙げている。ロボット・特撮以外では『うる星やつら』もアニメを見続ける一因になったと語っている[4]。なお、ロボットアニメ以外のアニメ(『プリキュア』や『ドラゴンボール改』など)も、時間が許す限り目を通している[1]。
趣味と仕事を兼ねて、プラモデルやおもちゃを収集している[1]。集めたプラモデルがゲーム製作の資料としてもらわれていくことがあるため、レアなキットは2個ずつ購入している[1]。こうして集めた資料類が自宅に収まりきらなくなり、引越しをしたことがある[17]。
『インベーダーゲーム』の頃からのゲーマーであり、大学時代に弓道部の主将を務めていた頃に『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』の発売日に特権で稽古を休みにした事がある[4]。又、バンプレスト入社後NINTENDO64の発売日に本体と『スーパーマリオ64』を購入し、12時間連続でプレイした結果、翌日会社に遅刻して上司に怒られたという失態を犯している[18]。
阪神タイガースファンであることを自身のブログで公言している[19]。
ゲーム製作に対するスタンス
プロデュースが本業であるが、『スーパーロボット大戦ORIGINAL GENERATION』や『スーパーロボット大戦OG -ディバイン・ウォーズ-』など一部の作品ではシナリオも担当している。オリジナルロボットダイゼンガーのネーミングも寺田の命名である[20]。ネーミングは「少しダサめにつけるのが良い」という考えを持っており、本人は昔の先輩のアドバイスによるものだと語っている[20]。
息の長いシリーズを製作していることから、ユーザーに飽きられないようゲームの情報の出し方に気を配っている[1]。ゲームの発売前にどこまで情報を出すか、広報と衝突することもしばしばあった[1]。そうしたこともあり、発売前のゲームについて事前情報が流出した際には、情報を漏らすユーザーに対し公式ブログ上で苦言を呈したことがある[21]。一方、動画投稿サイトにプレイ動画がアップされることについては「ゲームをどう楽しむかは、ユーザーさん次第なので。」と寛容な立場を取っている[1]。ただし、コンテンツ製作に関わる立場から、寺田自身は違法アップロードされたコンテンツを見ないようにしている[1]。
エピソード
「寺田大将軍」の名前でテレビに出演し広報活動をしていたことがあり[22]、同じ業界の人間から広報出身だと間違えられることがある[23]。
1996年発売の『第4次スーパーロボット大戦S』以降のDC戦争シリーズ・αシリーズ[24]・Zシリーズのように主人公の誕生日・血液型を自分で設定できる作品では、寺田と同じ11月11日生まれのB型にすると強力な精神コマンドを持つキャラクターになるのがお馴染みとなっている[1]。
スパロボ開発のために会社に泊まりこんだ際、うっかりTシャツにパンツ1枚のままビルの外に出て締め出されてしまう。その後、スタッフに見つけてもらうまで監視カメラを潜り抜け10数時間にわたって耐え忍んだ。のちにこの件を上司に話したところ、「おまえ『ドラクエ』でも初期装備はこんぼうくらいは持っているだろ?」と言われたことから布の服事件と呼ばれている[25][26]。
スパロボシリーズのCM、PV等を数多く制作している映像演出家嶋崎直登のアイディアが実現し[27]、延期[28]の末に発売された『スーパーロボット大戦OG ORIGINAL GENERATIONS』の発売日当日(2007年6月28日)には、「できたよ~!」と早朝の秋葉原電気街を駆け抜けるWEB用CMに出演[29]。このCMの収録には公式ブログを見て駆けつけた200人を超える一般ユーザー[29]、『スーパーロボット大戦OG ORIGINAL GENERATIONS』に出演し自身もファンの置鮎龍太郎[30]、公式ブログ執筆者の一人である相沢舞[29]が参加。CMは当日の内に公式サイトから期間限定で配信された。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o “加藤レイズナの実況取材道 vol.3 「スーパーロボット大戦」シリーズの寺田貴信プロデューサーにインタビュー スーパーロボットスピリッツ〜鋼の魂〜編” (2009年11月1日). 2011年10月21日閲覧。
- ^ “『ロボットアニメの発展と文化的意義』”. メディア芸術カレントコンテンツ. 2020年2月8日閲覧。
- ^ 『永遠のガンダムシリーズ Vol.2 語ろうシャア!』カンゼン、2004年4月5日、41-61頁。ISBN 4901782266。
- ^ a b c d e f g h i j 『第3次スーパーロボット大戦α 終焉の銀河へ ザ・コンプリートガイド』メディアワークス、2005年10月20日、742-751頁。ISBN 9784840232197。
- ^ a b c d e f 『スーパーロボット大戦F プレイステーション版 完全攻略ガイド』メディアワークス、1999年1月10日、168-170頁。ISBN 4073107178。
- ^ 『ドリマガ Vol.8』ソフトバンク パブリッシング、2003年4月25日、41-43頁。
- ^ 『動画王 Vol.9』キネマ旬報社、2000年3月10日、114-119頁。ISBN 4873765307。
- ^ 『B-CLUB 132号』バンダイ、1996年11月15日、26頁。ISBN 4891895705。
- ^ a b c 『スーパーロボット大戦シリーズ20周年記念特製ブックレット』バンプレスト、2012年3月18日、35頁。
- ^ 『CONTINUE Vol.6』太田出版、2002年9月22日、51-55頁。ISBN 487233700X。
- ^ 『グレートメカニック 2』双葉社、2001年7月16日、128-129頁。ISBN 4575464007。
- ^ “「第3次Z 天獄篇」発売から1週間……|スーパーロボット大戦公式BLOG「熱血!必中!スパログ!」” (2015年4月11日). 2017年12月24日閲覧。
- ^ a b 『スーパーロボット大戦』シリーズプロデューサーの寺田貴信氏が、B.B.スタジオからの退社を報告。フリーランスとなり、以降はスーパーバイザーに - AUTOMATON
- ^ “イベントやりますか!|スーパーロボット大戦公式BLOG「熱血!必中!スパログ!」” (2006年6月15日). 2017年12月24日閲覧。
- ^ 『ジャングル少年ジャン ドッキンばぐばぐアニマル 2』アスペクト、1999年4月8日、67頁。ISBN 4757203616。
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- ^ “引越しします!|スーパーロボット大戦公式BLOG「熱血!必中!スパログ!」” (2006年3月14日). 2017年12月24日閲覧。
- ^ マイコミ刊 『ニンドリ 2008年1月号』より[要ページ番号]
- ^ “久々に休み|スーパーロボット大戦公式BLOG「熱血!必中!スパログ!」” (2008年9月16日). 2017年12月24日閲覧。
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- ^ “ちょっと悲しいです|スーパーロボット大戦公式BLOG「熱血!必中!スパログ!」” (2007年6月20日). 2017年12月24日閲覧。
- ^ 「ゲーム王国」1995年3月14日放送に出演し、『ONI V -隠忍を継ぐ者-』のプレゼンを行っている。
- ^ “う~むむ……。|スーパーロボット大戦公式BLOG「熱血!必中!スパログ!」” (2006年3月17日). 2017年12月24日閲覧。
- ^ 『スーパーロボット大戦α外伝』を除く。
- ^ “スーパーロボット大戦OGトークライブ~秘密の宴~ イベントリポート”. 2011年8月12日閲覧。
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- ^ “というわけで|スーパーロボット大戦公式BLOG「熱血!必中!スパログ!」” (2007年6月29日). 2017年12月24日閲覧。
- ^ “昔、こんなこともやってました|スーパーロボット大戦公式BLOG「熱血!必中!スパログ!」” (2008年6月24日). 2017年12月24日閲覧。
- ^ 実写CMに整備士役で出演しているのが確認できる。
- ^ 満足な操作ができないため大味な必殺技頼みの戦術に偏ってしまうほどの致命的な操作性の悪さ、使えるキャラクターが7人にとどまる上にキャラクター後との差別化が難しいというバリエーションの乏しさから、格闘ゲームとしての評価は低い。PS円熟期のソフトとあって、ポリゴングラフィックはクオリティが高かった。発売直前に定価5800円をメーカーが急遽1800円に値下げしたため、メーカー自身がゲームの完成度の低さを自覚していたのではないかという憶測もある。株式会社QBQ編 『プレイステーションクソゲー番付』マイウェイ出版発行、2018年。ISBN 9784865118346 p77
- ^ CM内に記載。
- ^ a b “ゴングを鳴らせ!!|スーパーロボット大戦公式BLOG「熱血!必中!スパログ!」” (2005年4月19日). 2017年12月24日閲覧。
- ^ “Crest of “Z’s ”|スーパーロボット大戦公式BLOG「熱血!必中!スパログ!」” (2008年9月5日). 2017年12月24日閲覧。
- ^ “『スパロボ』寺田貴信氏インタビュー後編。ターニングポイントはあの作品【スパロボ30周年記念連載:4】”. 電撃オンライン. KADOKAWA Game Linkage (2022年2月28日). 2023年2月4日閲覧。
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