宮本悦朗 宮本悦朗の概要

宮本悦朗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/03 21:09 UTC 版)

宮本 悦朗
生誕 (1948-01-15) 1948年1月15日(75歳)
出身地 日本 長崎県対馬市
ジャンル 演歌ムード歌謡
担当楽器 ギターキーボード
活動期間 1967年 -
共同作業者 内山田洋とクール・ファイブ

来歴

1967年(昭和42年) - 長崎市にて内山田洋とクール・ファイブを結成。

1969年(昭和44年) - 「長崎は今日も雨だった」でレコード・デビュー。同曲で、第11回日本レコード大賞新人賞を受賞。NHK紅白歌合戦に出場。

1988年(昭和63年) - 7月7日に歌謡スナッククール101をオープン。

1994年(平成6年) - グループより独立。「宮本えいこプロダクション」スタート。アルバム「デビュー25周年記念感謝をこめて」CD発売。

1995年(平成7年) - シングル「みなと/人生花火」を発売。

1996年(平成8年) - 第41回衆議院議員総選挙新進党公認で千葉県第7区から立候補、53,484票を獲得するが次点で落選。

2004年(平成16年) - クール・ファイブ出身「たくみ稜・小林正樹・宮本悦朗」の三人で新ユニット、サニーアンクル結成。

2006年(平成18年) - 内山田洋を追悼する意味で、一夜限りの再結成。

2010年(平成22年) - 9月、出身地の長崎県対馬市でコンサートを行った際、母校の対馬高等学校の吹奏楽部員の生徒とセッションを行った。

人物

歌番組などでは、頭髪が薄いなどの理由から、個性的な外見をもつと紹介される。

薄い頭髪とメガネがトレードマーク。趣味はゴルフ

音楽教師を目指し、長崎大学教育学部を第1志望としてピアノを習い猛勉強するが、高3の秋に、父親が急逝。受験も失敗続きで2浪したが不合格。実家に帰るに帰れず、長崎のラウンジで弾き語りをしていた時に内山田洋に出会い、1967年9月の内山田洋とクール・ファイブ結成時のメンバーになる。内山田が2006年に逝去以降は前川清がメインボーカルの前川清&クール・ファイブを結成。

エピソード

  • 前川清のそっくりさんである後川清(うしろかわ きよし)の『長崎の今日は晴れだった』のコーラスを、同じ元・クール・ファイブの小林正樹と共に担当。後川清とホット・ファィブとしてCDリリースされる[1]

出演

映画

テレビ

バラエティー番組

テレビドラマ

脚注

出典

関連項目




「宮本悦朗」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「宮本悦朗」の関連用語

宮本悦朗のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



宮本悦朗のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの宮本悦朗 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS