唐山市 地理

唐山市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/20 00:05 UTC 版)

地理

唐山市は環渤海の中心に位置し、南は渤海湾に面して北京と共同で建設した京唐港と、水深25メートル以上の深水港である唐山曹妃甸港を擁し、海岸線の長さ196.5キロメートルを有する沿海都市である。北は燕山山脈にあり四季毎に見事な景観を呈する万里の長城により区切られて承徳市と接し、東は港湾都市である秦皇島市、西は天津市から100キロメートル、北京市から150キロメートルに位置し、人口4000万人を有す環渤海経済圏を形成する中心的な都市の一つである。

地理的範囲は南北160キロメートル、東西120キロメートルに及び、面積は13,472平方キロメートルであり、これは紀伊半島に相当する面積である。秦皇島市との間には灤河(らんが)が流れる。

唐山市は河北省最大の重工業都市であり、中国近代工業発祥の地の一つで、中国における機械化炭田、広軌鉄道敷設、蒸気機関車製造、セメント製造、近代製陶業の発祥地であり「中国近代工業の揺籃地」および「北方の陶都」と称されている。

歴史

開平鉱務局の唐山炭鉱
唐山地震の震災遺構(華北理工大学内)

唐山市の地域には4万年前から人類が棲息していた遺跡があり、殷周時代は北方の侯国孤竹国(弧竹国)の首府であり、この国の王子たちで周の文王への義に殉じた伯夷・叔斉の兄弟の逸話は有名である。戦国時代には燕国の領土となり、漢時代には幽州となり、南北朝時代には右北平郡遼西郡に編入された。の時代には高句麗への前哨基地や遠征基地となっている。の時代には、すでに鉄鉱石精錬石炭の採掘、陶磁器生産の中心地として今日の基礎を築いていた。清時代には直隷省永平府と遵化直隷州となっていた。

1876年洋務運動を進めていた朝政府は、開平鎮(現在の開平区)に半官半民の企業(官督商弁企業)である「開平鉱務局」を置いて炭鉱を開き、そのための都市として喬屯鎮を置いた。さらに1881年には中国が自力で建設した最初の標準軌鉄道である唐胥鉄道(開平-胥各荘、現在の豊南区)を敷設し、これは後に延伸され津楡鉄道(天津-臨楡)へとなった。また中国最初の蒸気機関車工場、セメント工場、衛生陶器工場なども開設され中国の近代産業の発祥の地となった。1899年には喬屯鎮は街の北側にある唐山(今は公園になっている大城山の旧称)にちなんで唐山鎮と改称し灤州(らんしゅう、現在の灤州市)の管轄下になり、1938年に市制施行され唐山市となった。1948年12月に中国共産党軍に占領され、1960年には周囲を合併して省轄市に再編された。

1976年7月28日、唐山はマグニチュード7.8の直下型地震である唐山地震に襲われた。唐山市にはそれまで大地震発生の記録がなく建築物は簡単なレンガ造りが主流であったことから、市内だけでなく周囲の建築物も壊滅的な被害を受けた。市内で14万8,000人、全体で24万人(公式の発表数)という史上最大の犠牲者を出す大惨事となった(実際の死者数はこの2〜3倍とみられ、75万人とも言われている)。鉱山があるため廃墟を放棄して完全移転することはできず、そのため市域を広げ隣接する場所に被災者のための団地や移転してきた工場などからなる新市街を建設し、その後旧市街の再建に取り掛かった。再建された旧市街中心部には抗震記念碑や抗震記念館が建っている。

1990年代に入り唐山市高新技術開発区が建設された。2007年にはパナソニック神戸製鋼所アイシンなどが進出する唐山現代装備製造工業区が設立され、その後も住友重機械・住友建機・ソミック石川・ニッピコラーゲンなどの日本企業が進出している。

中国地名の変遷
建置 1938年
使用状況 唐山市
中華民国唐山市
現代唐山市

女性リンチ事件と文明都市資格剥奪処分

2022年6月10日午前2時40分頃に市内の飲食店内で飲食をしていた女性3人グループのテーブルに男が歩み寄り、1人の体に手を回そうとするセクハラが拒絶されると、その女性の顔を殴打し、暴行しだした。店外にいた男のグループ数人が加わり、女性を店外に引きずり出して殴る蹴るの激しい集団暴行を加えている一部始終が防犯カメラで撮影されていた。セクハラを拒んだ女性らともう一人の女性がリンチされて、集中治療室の病院送りにされた。そのリンチ映像がSNS上で拡散されると、国内外から批判が殺到した[1][2]

リンチした男性らが地元警察と癒着していたことも報道されたため、河北省の当局が地元警察幹部ら5人を規律違反の疑いで調査し出した。中国政府系メディアによると、「住民の素質(民度)と文明度が高い」と中国共産党政権に判断された都市に贈られる「全国文明都市」の資格が唐山市当局への懲罰として、唐山市から剥奪されている[1]

行政区画

7市轄区・3県級市・4県を管轄する。

唐山市の地図

年表

この節の出典[3][4]

唐山市(第1次)

  • 1949年10月1日 - 中華人民共和国河北省唐山市が発足。一区から十二区までの区が成立。(12区)
  • 1950年5月22日 (7区)
    • 一区・五区が合併し、一区が発足。
    • 十一区・十二区が合併し、五区が発足。
    • 七区・八区・九区・十区が合併し、七区が発足。
  • 1950年11月 - 唐山専区豊南県の一部が六区に編入。(7区)
  • 1951年3月13日 - 唐山専区豊潤県灤県の各一部が合併し、八区が発足。(8区)
  • 1952年3月7日 (8区)
    • 唐山専区豊潤県・灤県の各一部が八区に編入。
    • 唐山専区豊南県の一部が六区に編入。
  • 1952年5月 (8区)
    • 三区の一部が二区・六区に分割編入。
    • 二区・六区の各一部が三区に編入。
  • 1952年6月17日 - 唐山専区灤県・豊潤県の各一部が八区に編入。(8区)
  • 1952年7月 (10区)
    • 六区の一部が分立し、九区が発足。
    • 八区の一部が分立し、十区が発足。
  • 1955年3月25日 (6区)
    • 一区・四区が合併し、路北区が発足。
    • 二区・六区が合併し、路南区が発足。
    • 三区・八区が合併し、碑子院区が発足。
    • 九区・十区が合併し、窪里区が発足。
    • 五区が缸窯区に、七区が東鉱区にそれぞれ改称。
    • 碑子院区の一部(歓套郷・東八里郷)が窪里区に編入。
    • 窪里区の一部(李各荘郷・鄭荘子郷・安各荘郷)が碑子院区に編入。
  • 1956年10月8日 (3区)
    • 路南区・路北区が合併し、市区が発足。
    • 碑子院区・窪里区が合併し、郊区が発足。
    • 缸窯区が市区・郊区に分割編入。
  • 1958年4月28日 - 唐山市が唐山専区に編入。

唐山専区(1949年-1960年)

大城山公園
唐山市人民政府
  • 1949年10月1日 - 中華人民共和国河北省唐山専区が成立。昌黎県豊潤県豊南県灤南県楽亭県臨楡県撫寧県盧竜県遷安県遷西県遵化県玉田県灤県が発足。(13県)
  • 1949年10月 - 玉田県の一部が通県専区薊県に編入。(13県)
  • 1949年11月15日 - 昌黎県の一部が楽亭県に編入。(13県)
  • 1950年1月25日 - 臨楡県の一部が分立し、秦皇島市郊区となる。(13県)
  • 1950年9月 - 通県専区薊県の一部が玉田県に編入。(13県)
  • 1950年11月 - 豊南県の一部が唐山市六区に編入。(13県)
  • 1951年3月13日 - 豊潤県・灤県の各一部が合併し、唐山市八区となる。(13県)
  • 1952年3月7日 (13県)
    • 豊潤県・灤県の各一部が唐山市八区に編入。
    • 豊南県の一部が唐山市六区に編入。
  • 1952年6月17日 - 灤県・豊潤県の各一部が唐山市八区に編入。(13県)
  • 1952年11月7日 - 遼西省山海関市を編入。山海関市が県級市に降格。(1市13県)
  • 1953年1月2日 - 山海関市が秦皇島市に編入。(13県)
  • 1953年2月10日 - 臨楡県・撫寧県の各一部が秦皇島市海浜区に編入。(13県)
  • 1953年6月6日 - 撫寧県・遷安県の各一部が盧竜県に編入。(13県)
  • 1953年7月11日 (13県)
    • 盧竜県の一部が昌黎県に編入。
    • 遷安県の一部が灤県に編入。
  • 1954年4月24日 (10県)
    • 豊南県が豊潤県・灤県に分割編入。
    • 灤南県が灤県に編入。
    • 臨楡県が撫寧県、秦皇島市山海関区北戴河区・二区に分割編入。
  • 1954年7月19日 - 撫寧県の一部が秦皇島市北戴河区に編入。(10県)
  • 1954年8月10日 - 撫寧県の一部が秦皇島市北戴河区・二区・山海関区に分割編入。(10県)
  • 1955年1月29日 - 豊潤県の一部が灤県に編入。(10県)
  • 1956年6月12日 - 撫寧県の一部が盧竜県に編入。(10県)
  • 1956年7月4日 - 玉田県の一部が豊潤県に編入。(10県)
  • 1957年4月2日 - 承徳専区青竜県の一部が盧竜県に編入。(10県)
  • 1957年6月4日 - 灤県の一部が豊潤県に編入。(10県)
  • 1958年4月28日 - 唐山市秦皇島市、通県専区平谷県薊県三河県香河県大廠回族自治県、天津専区寧河県宝坻県を編入。唐山市・秦皇島市が県級市に降格。(2市16県1自治県)
  • 1958年6月6日 - 寧河県の一部が天津市東郊区に編入。(2市16県1自治県)
  • 1958年9月23日 - 灤県の一部が唐山市に編入。(2市16県1自治県)
  • 1958年9月29日 - 寧河県の一部が天津市塘沽区に編入。(2市16県1自治県)
  • 1958年10月20日 - 平谷県が北京市に編入。(2市15県1自治県)
  • 1958年10月 - 薊県の一部が北京市平谷県に編入。(2市15県1自治県)
  • 1958年11月29日 - 遷西県の一部が遵化県に編入。(2市15県1自治県)
  • 1958年12月20日 (2市7県)
    • 三河県・大廠回族自治県が薊県に編入。
    • 寧河県が玉田県、天津市漢沽区に分割編入。
    • 豊潤県が唐山市・玉田県・楽亭県に分割編入。
    • 灤県が唐山市・楽亭県に分割編入。
    • 遷西県が遷安県・遵化県に分割編入。
    • 盧竜県が昌黎県・遷安県に分割編入。
    • 撫寧県が秦皇島市・昌黎県に分割編入。
    • 香河県が宝坻県、天津専区武清県に分割編入。
  • 1960年4月2日
    • 唐山市が地級市の唐山市に昇格。
    • 秦皇島市・遷安県・昌黎県・楽亭県・宝坻県・玉田県・薊県・遵化県が唐山市に編入。

唐山市(第2次)

  • 1960年4月2日 - 唐山専区唐山市が地級市の唐山市に昇格。市区東鉱区郊区柏各荘区灤県豊潤県が成立。(4区1市9県)
    • 唐山専区秦皇島市遷安県昌黎県楽亭県宝坻県玉田県薊県遵化県を編入。
  • 1960年4月21日 (5区1市7県)
    • 薊県の一部が玉田県に編入。
    • 宝坻県・薊県が天津市に編入。
    • 天津市漢沽区を編入。
    • 天津市宝坻県の一部が漢沽区に編入。
  • 1960年5月10日 (4区1市7県)
    • 郊区が市区・東鉱区に分割編入。
    • 豊潤県・楽亭県の各一部が柏各荘区に編入。
  • 1960年5月26日 - 漢沽区が市制施行し、漢沽市となる。(3区2市7県)
  • 1961年5月23日 - 唐山市が唐山専区に降格。

唐山地区(1961年-1983年)

  • 1961年5月23日 - 唐山市が唐山専区に降格。(3市7県)
    • 市区・東鉱区・柏各荘区が合併し、県級市の唐山市が発足。
  • 1961年6月10日 - 漢沽市の一部が豊潤県に編入。(3市7県)
  • 1961年6月19日 - 灤県の一部が唐山市に編入。(3市7県)
  • 1961年7月9日 (3市12県)
    • 秦皇島市・昌黎県の各一部が合併し、撫寧県が発足。
    • 昌黎県の一部が分立し、盧竜県が発足。
    • 遷安県・遵化県の各一部が合併し、遷西県が発足。
    • 漢沽市の一部が分立し、寧河県が発足。
    • 唐山市・豊潤県・楽亭県の各一部が合併し、豊南県が発足。
    • 唐山市の一部が灤県に編入。
  • 1961年7月10日 - 玉田県の一部が豊潤県に編入。(3市12県)
  • 1961年10月7日 - 寧河県の一部が漢沽市に編入。(3市12県)
  • 1962年8月1日 (3市11県)
    • 寧河県の一部が天津専区宝坻県に編入。
    • 玉田県の一部が天津専区薊県に編入。
    • 寧河県が天津専区に編入。
  • 1962年10月20日 (2市12県)
    • 灤県・楽亭県・豊南県の各一部が合併し、灤南県が発足。
    • 漢沽市が天津市に編入。
  • 1964年5月30日 - 灤県の一部が唐山市に編入。(2市12県)
  • 1964年12月21日 - 唐山市の一部が豊潤県・豊南県に分割編入。(2市12県)
  • 1966年8月 - 灤県の一部が唐山市に編入。(2市12県)
  • 1968年1月 - 唐山専区が唐山地区に改称。(2市12県)
  • 1978年3月11日 - 唐山市が地級市の唐山市に昇格。(1市12県)
  • 1978年12月30日 (1市12県)
    • 豊潤県の一部が唐山市郊区路北区に分割編入。
    • 灤県の一部が唐山市開灤工農新区に編入。
  • 1979年5月15日 - 遵化県の一部が天津市薊県に編入。(1市12県)
  • 1982年9月22日 - 灤南県・豊南県の各一部(柏各荘墾区)が合併し、唐海県が発足。(1市13県)
  • 1983年3月3日
    • 秦皇島市が地級市の秦皇島市に昇格。
    • 豊潤県・豊南県・灤県・灤南県・玉田県・遵化県・遷西県・遷安県・唐海県が唐山市に編入。
    • 撫寧県・昌黎県・盧竜県・楽亭県が秦皇島市に編入。

唐山市(第3次)

  • 1978年3月11日 - 唐山地区唐山市が地級市の唐山市に昇格。路南区路北区郊区東鉱区が成立。(4区)
  • 1978年9月23日 - 郊区・東鉱区の各一部が合併し、開灤工農新区が発足。(5区)
  • 1978年12月30日 (5区)
    • 唐山地区豊潤県の一部が郊区・路北区に分割編入。
    • 唐山地区灤県の一部が開灤工農新区に編入。
  • 1979年3月20日 - 廊坊地区安次県の一部(芦台農場・漢沽農場)が路南区に編入。(5区)
  • 1979年3月30日 - 郊区の一部が東鉱区に編入。(5区)
  • 1979年5月4日 - 郊区の一部が開灤工農新区に編入。(5区)
  • 1980年2月4日 - 開灤工農新区が郊区・東鉱区に分割編入。(4区)
  • 1980年8月27日 - 郊区の一部が分立し、新区が発足。(5区)
  • 1981年2月20日 - 路北区の一部が路南区に編入。(5区)
  • 1981年4月17日 - 郊区の一部が路北区に編入。(5区)
  • 1982年3月17日 - 郊区が開平区に改称。(5区)
  • 1983年3月3日 - 唐山地区豊潤県豊南県灤県灤南県玉田県遵化県遷西県遷安県唐海県を編入。(5区9県)
  • 1983年5月5日 - 秦皇島市楽亭県を編入。(5区10県)
  • 1984年7月12日 - 路北区・豊南県・灤県の各一部が路南区に編入。(5区10県)
  • 1992年2月17日 - 遵化県が市制施行し、遵化市となる。(5区1市9県)
  • 1992年11月16日 (5区1市9県)
    • 開平区の一部が路北区・路南区に分割編入。
    • 路北区の一部が開平区・路南区に分割編入。
  • 1992年11月30日 - 路南区の一部が開平区に編入。(5区1市9県)
  • 1994年4月5日 - 豊南県が市制施行し、豊南市となる。(5区2市8県)
  • 1995年1月11日 - 東鉱区が古冶区に改称。(5区2市8県)
  • 1996年10月10日 - 遷安県が市制施行し、遷安市となる。(5区3市7県)
  • 2002年2月1日 (6区2市6県)
    • 豊南市が区制施行し、豊南区となる。
    • 豊潤県・新区が合併し、豊潤区が発足。
  • 2012年7月11日 - 唐海県および豊南区の一部が合併し、曹妃甸区が発足。(7区2市5県)
  • 2014年9月9日 - 豊南区の一部が路南区に編入。(7区2市5県)
  • 2018年9月26日 - 灤県が市制施行し、灤州市となる。(7区3市4県)



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