台南神社 祭神

台南神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/16 22:36 UTC 版)

祭神

北白川宮能久親王[1][2]

歴史

台南神社境内は北白川宮能久親王の終焉の地である。能久親王は1895年明治28年)10月28日に台南の豪族呉汝祥中国語版の家で薨去した。当初は、台湾の神社の中心となる台湾神社(のち台湾神宮)の候補地として挙がったが、同社は台北に創建された。その後、当地は台湾神社遥拝所となり、台湾神社が管理した。1920年大正9年)、台湾総督府はここに工を起し、1923年(大正12年)10月27日社殿が設けられ、鎮祭し、無格社に列せられた。無格社時代には台湾神社の所管に属し、台湾神社から職員が派されてこれを守った。

1925年(大正14年)10月31日に官幣中社に昇格した[1][2]。例祭は台湾神社と同じく、能久親王の命日である10月28日[3]

1926年(大正15年)10月30日、能久親王の未亡人である北白川宮大妃富子が台南神社を参拝した[4][注釈 1]

台湾への中華民国軍進駐後は、台南市忠烈祠となった。さらに1972年昭和47年)に日本と台湾が断交した際に、民国政府は「日本統治時代の日本の帝国主義的なものは全て取り除く」との命令を発し、それ以前から各地で跡地境内が改変されていたが、より本格的に多数で跡地が改変され、台南神社は体育場になった。

現状

かつての事務所が市定古跡に指定されている。旧址は体育場転移の後、台南市11号公園と小学校(忠義国民小学)になった。2005年平成17年)に隣接地に小学校の校舎が新築され、跡地の地下30cmに神社の橋(戦後は「成功橋」と命名)が発見された。今は修復工事が完了した。

2019年1月27日、旧址である11号公園に台南市美術館2館が開館した[5]

皇族の参拝

前後の日程で台湾神宮(台湾神社)を参拝している事例が多い。

北白川宮御遺跡所時代

台南神社時代


注釈

  1. ^ 例大祭を含む、この前後で台湾神社を参拝している。

出典

  1. ^ a b 大正14年内閣府告示第11号(『官報』号外、大正14年10月31日)(NDLJP:2956106
  2. ^ a b 大正14年台湾総督府布告第149号(『官報』第3974号、大正14年11月21日)(NDLJP:2956124/2
  3. ^ 大正14年台湾総督府布告第150号(『官報』第3974号、大正14年11月21日)(NDLJP:2956124/2
  4. ^ a b c 台南神社社務所 1928, p. 30(NDLJP:1907486/33
  5. ^ 台南美術館あす開館 日本時代庁舎再利用の1号館、2号館は坂氏設計/台湾 2019-01-26,フォーカス台湾
  6. ^ a b c d 台南神社社務所 1928, p. 41(NDLJP:1907486/47
  7. ^ a b c 台南神社社務所 1928, p. 42(NDLJP:1907486/48
  8. ^ 台南神社社務所 1928, p. 29(NDLJP:1907486/32


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