不破哲三
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/25 03:17 UTC 版)
名前の由来
- 『私の戦後六〇年 日本共産党議長の証言』の中で本人が「不破哲三」の由来について、自宅付近にあった塗装業者「不破建設」と、当時の職場である鉄鋼産業労働組合の「鉄」から名付けたと語っている。鉄鋼労連は総評系で日本社会党員(特に右派)が多数を占めていたため、機関誌「前衛」などへの寄稿の際このペンネームを使用していた。
- 実兄・上田耕一郎は、耕一郎と建二郎とで労農同盟を意味する命名であると語っている(経済2004年1月号での鶴見俊輔との対談での発言)。
人物
人物像
- メガネが最も似合う各界の著名人として、1998年に日本メガネベストドレッサー賞(政界部門)を受賞した[14]。
- 140冊以上の著作があるほか、「赤旗」の評論員論文・無署名論文の多くを執筆したともいわれる。
趣味・嗜好
子ども向けのテレビ番組『ウゴウゴルーガ』(フジテレビ他)において政治家としてではなく、登山の講師(「やまのぼりのえらいひと」)として出演したことがあるほど山登りが好き。70歳までは毎年元日に富士山に登り、初日の出を見ていたという[19]。現在の自宅も神奈川県相模原市緑区(旧津久井郡津久井町)の山中にある[20]。
時代小説も好きで、少年時代はその方面での作家にもなりたかったと語っている[21]。またテレビ時代劇を愛好し、時代劇専門チャンネルを視聴している[22]。
1990年、TBSの「クイズダービー」の「野党の委員長と新人議員大会」[要出典]に高崎裕子と出場し[23]、10万点を達成した。[要出典]
批判
日本共産党を離党した筆坂秀世は、離党後行った共産党批判のなかで、不破が2000年に日朝国交正常化交渉で北朝鮮による日本人拉致問題を事実上棚上げにすることを求めた、と主張した。不破は、(拉致問題が疑惑だった段階では)それに応じた緻密な外交努力をするべきと主張したのであって、これを拉致棚上げの主張と非難するのは曲解である、と反論している[24]。
2017年に86歳の不破哲三が常任幹部会委員に留任、84歳の浜野忠夫が幹部会副委員長に就任したことに触れて、筆坂は80代で未だに引退せずに自身の元で人事を牛耳らせた男を三役に置いたことに、「共産党の幹部の誰一人として異論を挟めない共産党の異常が露見している。共産党が普通の政党になるならばまず物言えない体制こそ改めるべき」と強く批判している[11][25]。
2001年の九州南西海域工作船事件における海上保安庁の対応を肯定する日本共産党の見解に対して、当時党議長だった不破は「中国は『海保はやりすぎだ』と批判している」ことを主張し、日本共産党のこの見解の発表を潰したとされている[26]。
論文「日本社会党の綱領的路線の問題点」の中で、社会党の平和革命路線を批判する中で「『暴力革命唯一論』者の議論は,民主主義を擁護する人民の力を無視した受動的な敗北主義の議論である。しかし,反対に『平和革命』の道を唯一のものとして絶対化する『平和革命必然論』もまた,米日支配層の反動的な攻撃にたいする労働者階級と人民の警戒心を失わせる日和見主義的『楽観主義』の議論であり,解放闘争の方法を誤まらせるものなのである」と述べており、公安調査庁は共産党の「敵の出方論」を裏付けるものだとしている[27]。
近年、エンゲルスへの批判を強めており、まずは『空想から科学へ』で定義された「資本主義の基本矛盾」について疑問を呈し、つづいてエンゲルスによる『資本論』第2・3部の編集方針についても批判を行った。新日本出版社は、この不破の見解に沿って旧来の新日本新書版『資本論』の改訂を行い、『新版 資本論』を完結させた(2019~2021年)。これに対して、川上則道[28][29][30]、谷野勝明[31][32][33]などから厳しい批判が出されている。
- ^ 『時代の証言者・不破哲三2』読売新聞、2010年11月2日付。
- ^ “「読売」連載に不破氏登場 来月から30回 「時代の証言者」”. しんぶん赤旗 (2010年10月25日). 2022年8月29日閲覧。
- ^ “森山欽司 ─反骨のヒューマニスト─ 第十六章” (PDF). 2007年10月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月17日閲覧。
- ^ “第15回 1998年 授賞語”. 「現代用語の基礎知識」選 ユーキャン 新語・流行語大賞. 2022年8月29日閲覧。
- ^ “レジェンドが一線退く…共産党の不破哲三前議長「名誉役員」に 志位和夫氏「特別の感慨」”. 日刊スポーツ. (2024年1月18日) 2024年1月18日閲覧。
- ^ “大会の機構と人事”. しんぶん赤旗 (2006年1月12日). 2022年8月29日閲覧。
- ^ “日本共産党中央委員会の機構と人事”. しんぶん赤旗 (2010年1月17日). 2022年8月29日閲覧。
- ^ “日本共産党中央委員会の機構と人事/幹部会(57人)”. しんぶん赤旗 (2010年1月17日). 2022年8月29日閲覧。
- ^ 日本共産党中央委員会書記局 (2010年1月23日). “日本共産党中央委員会の機構と人事について/2010年1月22日”. しんぶん赤旗. 2022年8月29日閲覧。
- ^ “日本共産党中央委員会の機構と人事”. しんぶん赤旗 (2014年1月19日). 2022年8月29日閲覧。
- ^ a b “中央委員会の機構と人事(第28回党大会)”. 党紹介. 日本共産党. 2022年8月29日閲覧。
- ^ “共産・不破哲三前議長、93歳で中央委員を退任へ 名誉役員に”. 産経新聞. (2024年1月17日) 2024年6月25日閲覧。
- ^ [時代の証言者]共産党・不破哲三(2)「神国」信じた軍国少年 読売新聞 2010年11月2日
- ^ “前回 第25回 日本 メガネ ベストドレッサー賞 ”. 国際メガネ展 IOFT. 2013年8月17日閲覧。
- ^ 不破哲三 (2004年9月12日). “追悼 水上勉さんのこと”. しんぶん赤旗. 2022年8月29日閲覧。
- ^ 「生きることも、愛することも、女にとっては革命です 瀬戸内寂聴×上田七加子」、『婦人公論』(2012年8月22日号)、中央公論新社 pp. 50p-55p
- ^ 橋本五郎 (2012年7月2日). “『道ひとすじ 不破哲三とともに生きる』 上田七加子著”. 本よみうり堂. 書評. 読売新聞. 2013年5月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月29日閲覧。
- ^ “共産・不破元議長の妻、上田七加子氏死去”. 産経新聞. (2020年5月20日) 2022年8月29日閲覧。
- ^ 『不破哲三 時代の証言』中央公論新社(2011年3月)
- ^ 不破哲三(インタビュアー:三浦俊章、池田伸壹)「いま社会主義とは ロシア革命100年、不破哲三氏語る」『朝日新聞』、2017年11月19日 。2022年8月29日閲覧。(要購読契約)
- ^ 『私の戦後六〇年 日本共産党議長の証言』(新潮社 2005年)
- ^ 毎日新聞2008年8月4日付。
- ^ 読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞、日本経済新聞、報知新聞(1990年7月28日付朝刊ラ・テ欄)より。
- ^ 不破哲三 (2006年4月19日). “筆坂秀世氏の本を読んで”. しんぶん赤旗. 2022年8月29日閲覧。
- ^ 筆坂, 秀世 (2017年1月31日). “トランプに対抗できるのは安倍首相だけ? 高まる安倍政治への支持と低迷する野党”. JBpress: p. 4 2022年8月29日閲覧。(要購読契約)
- ^ 小野田, 雄一; 板東, 和正; 三井, 美奈; 桜井, 紀雄; 森, 浩; 内藤, 慎二; 原川, 貴郎; 桑村, 朋 et al. (2021年8月30日). “【強権解剖】第2部 拡散⑥ 親密・仲違い繰り返す〝兄弟党〟”. 産経新聞 2022年8月29日閲覧。(要購読契約)
- ^ “共産党が破防法に基づく調査対象団体であるとする当庁見解”. 公安調査庁. 2017年11月25日閲覧。
- ^ 『マルクス『再生産表式論』の魅力と可能性』本の泉社、2014年。
- ^ 『『空想から科学へ』と資本主義の基本矛盾』本の泉社、2018年。
- ^ 『本当にマルクスは書いたのか、エンゲルスは見落としたのか』本の泉社、2022年。
- ^ 谷野勝明 (2020). “『恐慌の運動論の発見』と利潤率低下『矛盾の展開』論の『取り消し』はあったか”. 経済経営研究所年報 第42集.
- ^ 谷野勝明 (2020). “『資本論』体系形成の段階区分について~『恐慌の運動論の発見』による「大転換」説批判”. 経済系 第280集.
- ^ 谷野勝明 (2022). “『恐慌の運動論』と並ぶ『可能性、根拠』論の探求について~恐慌論体系の『可能性、根拠、運動論』説批判”. 経済経営研究所年報 第44集.
固有名詞の分類
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