モハンマド・モサッデク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/02 03:04 UTC 版)
死後
アメリカ国務省やCIAは共産化阻止を名目に計画を進めたが、実際にはモサッデクに共産主義になびく要素はなく、民族独立方針や石油利権搾取阻止が侵略の理由であった。民主的に選ばれた政権の転覆は、今日までイラン国民の対米感情に癒しがたい傷を残した。
モサッデクの生涯に大国の利害の間で翻弄されるイランの現代史を重ね合わせて見る心情は、イラン国民の間に根強い。列強に抑圧されたイランのシンボルとしてモサッデクは生き続けている。1979年に起きたイラン革命の時には、モサッデクの顔の写真や絵画を掲げて讃えられた[3]。
イラン革命後のイラン国内では、モサッデクは外国勢力とも宗教勢力とも距離を置き「真の独立」を目指した指導者として知られる。半ば神格化され今も彼を慕う国民は多い。しかし、イラン革命後の現在の宗教政権からは「反王政」「反欧米」では一致するが「非宗教的」という点では相容れないため国民の過剰なモサッデク人気は警戒されている。
関連項目
- ウィンストン・チャーチル
- アーマンド・ハマー
- 日章丸事件 - 首相期に国際石油資本のボイコットを破り、出光興産(出光佐三)が石油をイランから購入した[4]。
- アーバーダーン危機
- 1953年のイランのクーデター - モサッデクが失脚したクーデター。
脚注・出典・参考文献
外部リンク
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- ^ 高橋和夫 (2002). “モサッデク”. 岩波イスラーム辞典: 999.
- ^ 久枝, 中西「モサデグの外交政策への一考察(1952〜53)」『六甲台論集』第35巻第3号、1988年10月、109–116頁。
- ^ 新・映像の世紀 第4集 世界は秘密と嘘に覆われた 2016年1月24日放送
- ^ この事件を題材にした『挑戦』(石原慎太郎)という小説がある。
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