オート三輪
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国際オート三輪レース
2006年より、インド国内において国際オート三輪レース「CEAT Mumbai Xpress Autorickshaw Rally」が開催されている。
第1回の2006年大会は、南インド・タミル・ナードゥ州州都のチェンナイを出発しインド亜大陸最南端の町カニャークマリに至る、およそ1000kmの行程。ゴールは8月27日。インド国内の2チームをはじめイギリス、アメリカ、ロシア、ハンガリー、アルメニアからの計16チームが参加した。
第2回の2007年大会は、チェンナイから西インドのムンバイまでの1920kmのコースで13日間かけて行われ、8月17日にゴールを迎えた。参加国はインド、イギリス、アメリカ、カナダ、アイルランド、ハンガリー、ボスニア、クロアチアの8ヶ国[9]。32チーム、72名が参加した。
これら一連の大会はタイムではなくポイント制で競われる。また勝敗そのものよりもインドの自然や文化を内外に紹介することが目的で、収益はチャリティーに寄付されるとのこと。
関連作品・登場作品
- どてらい男 - 田村亮演じる尾坂昭吉の運送会社のトラック及びタクシー(半タク)として登場。(1973-1977年)
- 三丁目の夕日 - 自動車修理会社の主役の愛車。昭和30年ごろの話題として登場。(1974年-)
- こちら葛飾区亀有公園前派出所 - 昔の回想をテーマに扱った回においてたびたび登場する。(1976年-)
- コクリコ坂から (1979-1980年)
- となりのトトロ - 主人公一家が引っ越して来る冒頭部にダイハツ工業の「ミゼットDKA型」が、後半サツキがメイを捜すシーンでは「ダイハツ號」が登場した。(1988年)
- 金田一少年の事件簿 (アニメ) - 第1期ED 第131話-第147話 (2000年5月15日-9月4日)
- クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲 (2001年)
- 連続テレビ小説第69作 てるてる家族 - 昭和28年頃、騒々しいエンジン音から「バタコ」などと呼ばれた「ダイハツ號」(空冷単気筒)に似せて作られたオート三輪が、「岩田製パン店」の配達車として登場。昭和38年、「ミゼットDKA型」に新調された。(2003年)
- ALWAYS 三丁目の夕日シリーズ (2005年-2012年)
- 赤線街路〜昭和33年の初雪〜 - 主人公が愛用している自家用車として登場。作中の用語解説集にモデルは「ダイハツSK」であることが記述されている。(2007年)
- K-20 怪人二十面相・伝 (2008年)
- 凪のあすから (2013年)
- 連続テレビ小説第96作 ひよっこ - 昭和30~40年代、マツダ製のマツダ・K360、「ダイハツ・ミゼットMP5型」が登場した。(2017年)
- 連続テレビ小説第99作 まんぷく - 昭和32年に「ダイハツ・ミゼットMP5型」が登場し、最終回(昭和46年)にも再登場した。(2019年)
- 連続テレビ小説第101作 スカーレット - 昭和30年、日本内燃機製の三輪トラック「くろがね」(初の直列4気筒エンジン)が「カワハラ運送」の陶器運搬車として登場した。(2019年)
- 連続テレビ小説第105作 カムカムエヴリバディ - 昭和23年、上述の「くろがね」が一瞬登場。街角で出合い頭に安子とるいを跳ねてそのまま走り去った。(2021年)
- 連続テレビ小説第106作 ちむどんどん - 昭和53年、「くろがね」が「スナガワフード」の配達車として登場した。(2022年)
脚注
注釈
- ^ 前一輪後二輪の車両は斜め前に引く力に弱い。特に旋回中にブレーキを使った場合、制動による慣性力と遠心力の合成により斜め前に力が働き、前一輪では横方向に踏ん張りが効かず内側後輪が持ち上がる。多くはハンドルとブレーキを戻せば避けられるが、ハンドルを切りパニックブレーキをかける事でより回転が増し容易に横転する。
- ^ 通常、三輪の車両は、前2輪・後1輪のレイアウトの方が転倒しにくい。しかし、フロントカーの場合は前輪だけでなく、前方のシャーシおよび荷台も含めて操向される原始的構造のため、重量負担による操向性の悪化や、前方視界が荷物で塞がれるなどの難を抱えており、操向が簡易で、後方荷台式としやすい後2輪式の方が実用的であった。低速であれば前1輪でも安定性の問題は少なかった。
- ^ 現代のような車検制度が整っていなかった当時、ユーザー側では350cc車として登録したうえで、エンジンをボアアップしたり大排気量エンジンに積み替えるなどの脱法行為でパワーを上げる事例が多々あった。これには当然、技術的な必要から販売店側が加担していた。
- ^ 日本のオート三輪全体の生産量は1949年下半期平均で2,700台/月であったが、朝鮮戦争勃発後には3,800台/月に増大したという[3]。
- ^ オート三輪は前輪荷重について安定性確保の見地から20%以上の負担を求められていたが、小型自動車工業会からの実験結果に基づく要請もあり、1952年9月に運輸省保安局はオート三輪の前輪荷重限界を18%に引下げた。重量配分の変更に自由度が高まり、許容荷重が増加した。
- ^ 以後製造された小型自動車扱いのオート三輪は、長尺貨物用のストレッチモデルについてこの寸法を上限としている。
- ^ 低速でも前1輪式の3輪車が旋回時に転倒しやすいことは古くから認識されていたが、車両が大型化し、同時に1950年代以降の道路事情の変化(拡幅・舗装の進展)で自動車交通が40km/h - 60km程度の速度で流れるようになると、この欠点は更に顕在化した。このことから、高速自動車国道での法定最高速度は大型貨物自動車と同じく80km/hに制限されている。
- ^ 新興メーカーの代表であったホープ自動車(現ホープ)は1965年に撤退している。同社が最後に自動車メーカーとして再起をかけた製品が軽4輪駆動車ON型で、再起はならなかったもののその技術的系譜はジムニーに受け継がれる事になる。なお、2輪も4輪も手がけるスズキ自体はオート三輪を初め、三輪自動車の生産・販売を行ったことはない。
- ^ 軽貨物自動車であるため、趣味的に所有するにしても登録車のオート三輪に比べてはるかに維持コストが安くハードルが低い。
- ^ 高い確率で荷崩れが想定される場合は高速道路を走行すること自体ができないため。
出典
- ^ 呂寅満『日本自動車工業史』(東京大学出版会 2011年)p324。
- ^ 呂、前掲書 p332。
- ^ 呂、前掲書 p333。
- ^ 呂、前掲書 p334・p336[注釈 5]。
- ^ 呂、前掲書 p336。
- ^ a b “「オート三輪」そっくりEV 川崎市のベンチャーが発売”. 朝日新聞. (2015年6月16日)
- ^ Group, Piaggio. “Gamma Ape - Piaggio Veicoli Commerciali” (イタリア語). www.piaggiocommercialvehicles.com. 2020年5月11日閲覧。
- ^ “第65回:軽3輪トラック「アペ」のある風景 ウェブ写真展開催! 【マッキナ あらモーダ!】 2ページ目”. webCG. 2020年5月11日閲覧。
- ^ インドの国際自動三輪レース、最終目的地ムンバイに到着(2007年8月18日 AFP通信)
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