1920年の戦後恐慌とは? わかりやすく解説

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1920年の戦後恐慌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 05:12 UTC 版)

戦後恐慌」の記事における「1920年の戦後恐慌」の解説

1918年大正7年11月ドイツ国ドイツ帝国)の敗北により、第一次世界大戦終結したとき、大戦景気一時沈静化した。しかし、ヨーロッパ復興容易でない当初見込まれまた、アメリカ合衆国好景気持続する見込まれたこと、さらに、中国中華民国)への輸出好調だったことより景気は再び加熱したヨーロッパからの需要も再び増加して輸出伸びはじめた1919年大正8年後半には金融市場は再び活況呈し大戦中を上まわるブーム大正バブルとなった。このときのブームは、繊維業電力業主たる担い手であったが、商品綿糸綿布生糸・米など)・土地株式などの投機活発化し、インフレーション発生している。 1920年大正9年3月起こった戦後恐慌は、第一次世界大戦からの過剰生産原因である。日本経済は、戦後なおも好景気続いていたが、ここにいたってヨーロッパ列強生産市場に完全復帰し日本輸出一転不振となって余剰生産物大量に発生株価半分から3分の1大暴落した。4月から7月にかけては、株価暴落受けて銀行取り付け騒ぎ続出し169行におよんだ大戦景気通じて日本債務国から債権国転じたが、上記のように1919年以降輸入超過となり、大戦景気輸出好調だった綿糸生糸相場1920年大正9年)には半値以下に暴落して打撃受けた。これにより、21銀行休業紡績製糸業操業短縮余儀なくされた。休業した銀行多く地方の小銀行であったが、横浜生糸3代目茂木惣兵衛経営する茂木商店倒産したため、茂木取引のあった当時の有力銀行第七十四銀行連鎖倒産している。 政府救済措置により恐慌終息をみたが、大戦中に船成金として羽振りよかった山本唯三郎一時三井物産うわまわる取引おこなった神戸貿易商鈴木商店値上がり巨利得た日立鉱山久原房之助高田商会吉河商事など、大戦時事業拡張した事業者多く痛手を受け、中小企業多く倒産したこうした事態対し企業経営者の間には粉飾決算利益あるよう見せかけることが横行し銀行不良債権隠匿して利益計上するケース多く、これが事態をさらにこじらせた。 これに対し三井財閥三菱財閥住友財閥安田財閥など財閥系企業紡績会社大手手堅い経営安定した収益をあげ、むしろその地位を向上させ、結果的に独占資本強大化をもたらした日本テロリスト朝日平吾はこの恐慌大損し安田財閥首領安田善次郎一手買い占めて2,000万円儲けたという「噂話」に憤慨し安田善次郎暗殺企てたと言われている。 1920年代は、「慢性不況」と称されるほどの長期不況支配し大戦期の輸出花形産業であった鉱山造船商事いずれも停滞し久原鈴木破綻し重化学工業欧米製品の再流入苦境に立たされることとなった1920年代の「慢性不況」は、大戦時輸出主な大戦景気」と戦争直後の「バブル経済」的なブームのあとにきた反動よるもの把握できる

※この「1920年の戦後恐慌」の解説は、「戦後恐慌」の解説の一部です。
「1920年の戦後恐慌」を含む「戦後恐慌」の記事については、「戦後恐慌」の概要を参照ください。

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