台湾電力
台湾電力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/04 08:41 UTC 版)
1919年、総督明石元二郎の依頼により、高木は文官を離れて台中州(現・南投県)日月潭での「日月潭水力電気工事(中国語版)計画」を遂行すべく台湾電力株式会社の社長に就任する。任期中は台湾電気興業株式会社を合併し、台電は台湾のエネルギー(中国語版、英語版)市場で最大手となった(p199)。 堀見末子の人物伝『堀見末子物語』では当時の台湾土木業界の活況ぶりが描写され、台湾総督府土木局技師だった堀見や副社長の角源泉が天下りのように台電にやってきたことに対して上層部に愚痴を漏らしている光景も盛り込まれている(p199)。日月潭の電力工事は1920年の戦後恐慌や1923年の関東大震災によって中断し、高木は事業再開運動を展開するも政党闘争に阻まれるなどで進展しなかった(p151)。
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