飯田家の人々とは? わかりやすく解説

飯田家の人々

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:19 UTC 版)

ゲゲゲの女房」の記事における「飯田家の人々」の解説

安来飯田家は、家父長的な源兵衛反発する者もいるが、直系家族として続いている。 飯田登志 - 野際陽子ナレーション語り〉も担当する。) 布美枝祖母で、源兵衛の母。早くに夫に先立たれ一から商売などを独学しその後飯田家担った苦労人。「おばば」と呼ばれた隠居後多忙な息子夫婦代わり孫たち世話を担う。布美枝にとっても折りに触れ励ましてくれる優しい祖母良縁恵まれるように、との願い込めて母から受けついだ珊瑚玉の簪かんざし)を年頃の布美枝渡した。布美枝結婚前脳梗塞倒れ源兵衛たちが熱心に看病する他界した原案者祖母モデル飯田源兵衛 - 大杉漣美枝の父。子供の頃父の他界によって家業呉服商)に従事した苦労人太平洋戦争中統制経済下の企業整備業種転換余儀なくされて腐心した戦後飯田酒店」を開業、布美枝など家族と共に事業軌道乗せる。さらに市会議員をつとめるなど、戦中戦後動乱期を乗り越えて地元名士となる。家庭では厳格直情径行的な頑固親父であり、明治民法下の戸主のような言動をし、次女四女衝突したが、妻を含め家族対す愛情深く、布美枝いざという時頑張り評価し、「頼りにしている」と話すなど、子供たちそれぞれ細やかに見守っている。明治生まれ家長らしく古風な価値観を持つが、茂に対して彼の腕の障害漫画家という職業偏見を抱くことはなく、布美枝縁談について反対する親族もいる中、茂に見どころ感じて美枝結婚勧めた。布美枝結婚後は2回調布村井家訪問、娘を励まし、茂の成功伝えられる心から喜んだ1985年昭和60年)に脳梗塞倒れ、右半身が不自由になり、介護を受ける立場となる。源兵衛自身死を予感しながら翌年の秋、彼岸花が咲く頃に他界最終回源兵衛最後別れをするために村井水木)家の4人が安来行きヒロイン故郷ラストシーン迎えた原案者の父の飯塚藤兵衛モデル飯田ミヤコ - 古手川祐子美枝の母。控えめ態度で夫に仕え家族尽くし自身同じよう感情抑えがちな布美枝良き理解者でもある。短期間に布美枝結婚が決まると、嫁入り道具が間にあわない中、呉服業を廃した戦時中も手放さなかった上質反物つくった和服青海波文様)を布美枝渡し幸せ願った。布美枝結婚後は夫と共に実家で布美枝たちを案じ続ける。また妻として母として、布美枝の姑・村井絹代とも互いに相手立場思いやった。リューマチ持病抱えている。なお全般的な傾向として、時代舞台配偶者職種)を変え新世帯ヒロインが母ミヤコ役割を果たすことになる。原案者の母の飯塚つや子がモデル飯田暁子 → 塚本暁子 - 飯沼千恵子、小林さり青年期) 布美枝長姉新婚の布美枝東京駅着いたときに初登場都内赤羽)に在住し唯一頼れる身内であったサラリーマンの夫と息二人核家族で、貧しヒロイン一家違い余裕のある生活をしている。布美枝第二子妊娠時に夫の転勤東京から離れていた。原案者長姉モデル飯田ユキエ → 横山ユキエ - 星野真里、足立梨花青年期) 布美枝次姉。活発で開放的な性格で、好奇心旺盛感情抑えにくい一面を持つ。戦時中映画モロッコ』の宣伝チラシを見ながら、知らない世界行ってみたいと少女の布美枝語った。父の勧める縁談強く反発したものの、相手人柄を知ると自ら見合い望み小学校の教員をやめて実家近く農家横山家嫁いだ。父からは「お前がわしの性格を一番濃く受け継いでいる」と評されており、四女いずみと共に対照的なキャラクターとしてヒロイン特徴強調する役柄でもある。原案者次姉モデル飯田哲也 - 大下源一郎、渡邉等士、糟谷健二幼少期) 布美枝の兄。教員であり、跡取りとして実家両親同居している。原案者の兄の飯塚龍矢(父の死後飯塚藤兵衛改名)がモデル飯田邦子 - 桂亜沙美 哲也の妻。布美枝よりも年下義姉で、布美枝と仲が良く第二子妊娠時には美枝第一子の俊文の子守を頼んでいた。飯田家電化製品購入した際には、「今迄家のことを中心になってやってくれていた布美ちゃんが、相談もなく台所のものを買われたら、いい気はしないのでは」と布美枝配慮示したり、東京へ嫁ぐ不安を語った美枝を励ますなど、優しく思慮のある性格後年介護をしている源兵衛から「本当の娘」と感謝された。原案者義姉飯塚和子モデル飯田俊文 - 馬渕誉、佐藤詩音、神谷涼太 哲也夫婦息子。布美枝の甥。若くして結婚し独立したが、なかなか子供出来なかった。原案者の甥の飯塚頼寿(現・飯塚藤兵衛)がモデルであり、子供出来たのは結婚して10年以上経ってからである。 飯田絵里子 - 三宅朱皓、飯田ゆか、平林靖子 哲也夫婦娘。美枝の姪。原案者の姪の飯塚美子モデル飯田貴司 → 及川貴司 - 星野源、鈴木福、小林海人幼少期) 布美枝の弟。飯田家4姉妹の中で布美枝と最も仲がよく、また布美枝似て温厚人当たり柔らかい家業手伝っていたとき、ミシン販売店跡継ぎ娘・及川満智子交際するものの、そのこと知らない父が店を持たせて分家独立させようしたため両者板ばさみ思い悩むその後帰省中の布美枝アドバイスもあり、満智子との結婚選び婿入りした。1972年昭和47年)、新型ミシン研修上京したとき、仕事忙殺され家庭目を向けない茂のことで布美枝アドバイスするとともに他人事ではないと反省を口にした。しかし、ミシン販売業不振から脱却しかけた矢先釣り行った際に海に転落し妻子残して帰らぬ人となる。原案者の弟がモデル飯田いずみ → 森川いずみ - 朝倉えりか、朝田帆香幼少期) 布美枝の妹で末子次姉ユキエ似て好奇心自立心旺盛感情抑えにくい性格。布美枝帰省したとき、東京への憧れを口にした。短大卒業当時高学歴女性)して産休補助教員をしており、自動車の運転免許持っている。布美枝第二子身ごもると、父の命令で村井家家事育児をしばらく手伝うことになったアシスタント倉田恋心を抱く倉田には受け入れてもらえず心を痛める。しかし、その後倉田一心不乱に漫画原稿に向かう姿を見てまた、郁子仕事に生きる覚悟、布美枝の貧乏に耐える強い気力、茂や漫画アシスタント目標向かって努力する姿を実感する倉田に対しては「本物漫画家目指す姿をずっと応援し続ける」と、彼への思いけりをつける見合いに関しては、もし嫌な相手なら父親が何と言おう見合いはしないと言い切り、自らも一歩踏み出すべきと思う。調布を去る日、茂の家の前で倉田から「いままで長々保留していた御礼」として「笑顔いずみの絵」を受け取り思い新たに安来帰る後日見合いをして即断即決結婚し一児をもうける。原案者の妹がモデル宇野輝子 - 有森也実 ミヤコの妹で、布美枝叔母少女時代の布美枝は、どんな時でも話を聞いてくれ受け止めてくれる彼女に慣れ親しんでいた。布美枝と茂の急な結婚に不満を漏らしていた。原案者叔母モデル

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