音楽家クラーズ
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クラーズは早くから作曲家のアンリ・デュパルクに出逢っていて、2人は終生にわたって友情を結んだ。デュパルクはクラーズを「自分の精神的息子」と呼んでいる。フランス海軍における職務のために、音楽に割ける時間はほとんどなかったものの、クラーズは生涯にわたって作曲を続け、主に室内楽と歌曲を手懸けた。歌劇《ポリュフェーム(Polyphème)》など最も野心的な作品のほとんどが第一次大戦中に作曲されたり、楽器配置を施されたりしているのに対して、大半の作品は大戦後の日付が付いている。 こんにち最も有名な作品は、弦楽三重奏曲と弦楽四重奏曲である。また、抒情悲劇《ポリュフェーム》は傑作と看做されている。この歌劇は、1922年の初演時に称賛され、フランスの報道機関にクラーズの名を広めた。ポリュフェームとは、ギリシア神話でいうポリュペーモスのフランス語形であり、すなわちポセイドーンの息子にして最年長のキュクロープスである。筋書きはオウィディウスの物語に基づいており、ポリュペーモス(バリトン)がガラテイア(オペラでは「ガラテー」、ソプラノ)に横恋慕して、恋人アーキス(オペラでは「アシス」、テノール)から奪おうとする。原作では最終的にポリュペーモスが、アーキスに向かって岩石を転がして殺してしまうのだが、台本作家のアルベール・サマン(英語版)はポリュペーモスに人間性を与えており、オペラのポリュペーモスは二人の恋人同士の感情を悟って、アーキスを潰すのを止める。結局のところ、このキュクロープスは、恋人たちの幸せに恐怖を覚え、死地を求めて海中を彷徨うのであった。 《ポリュフェーム》の音楽は、変化に富み、きわめて半音階的であるなど、デュパルクやエルネスト・ショーソンの精神で作曲されているが、ドビュッシーの《ペレアスとメリザンド》の影響も感じさせるように、印象主義的なところも見られる。 後年の作品は、形式的にはセザール・フランクに近いものの、バルトークにも比しうる刺々しい様式を発展させた。クラーズは室内楽を自分の武器と看做して、「この洗練された音楽形式が自分にとって最も欠かせないものになってきた」と記している。とりわけ《弦楽三重奏曲》は、幅広い様式を統合しており、北アフリカの影響も見られる。アンドレ・イモネ(André Himonet)は1932年に《弦楽三重奏曲》について、「完全に均衡のとれた音響体と、他に選びようもないほど豊かな表現力」に到達した作品と述べ、「奇跡的」な作品と呼んだ。《ピアノ三重奏曲》も、アフリカや東洋の旋律パターンをブルターニュの伝統音楽と融合させて、矛盾のない全体像を創り上げている。音楽評論家のミシェル・フルーリー(Michel Fleury)は《ピアノ三重奏曲》を、美術家アンリ・リヴィエールのジャポニスムの画風になぞらえて、楽曲が表現するのは「ブルターニュの地である。但し、作曲者が世界の至る所で得られたさまざまな経験によって恰もふるいにかけられたかのように様式化されたブルターニュである」と述べている。 次女のコレット (Colette Cras-Tansman, 1908-1953) はピアニストとなり、作曲家アレクサンドル・タンスマンと結婚した。
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