音楽家デビュー
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「エドゥアルト・シュトラウス1世」の記事における「音楽家デビュー」の解説
兄のヨハン2世は、半ば強引にエドゥアルトを音楽家の道に引きずり込もうとした。兄の「この上なくしつっこい勧め」によりエドゥアルトは、当時弾き手の少なかったハープや通奏低音、ピアノとヴァイオリンを学ばせられた。当時のエドゥアルトは、「ぜひにとせがまれた」ハープを習得することによって、将来は世間並み以上の収入を得られるだろうと考えたという。 「 ヨーゼフが人生の進路を変えさせられたように、ヨハンは私にも影響を与えて、彼の歩みについてゆく羽目になった。(1906年に刊行された自伝『回想録』より) 」 1855年2月11日、兄の率いるシュトラウス楽団でハープ奏者としてゾフィエンザールでデビューを飾った。指揮者としてデビューしたのは1861年のことであった。シュトラウス一家の中では、兄のヨハン2世とヨーゼフに押されて陰に隠れがちであったが、1869年にはポルカ『テープは切られた』を発表して自分なりの評価を確立した。作品の質は安定的であったが、大ヒットした作品は少なく、時として楽譜出版社を見つけるのに苦労することもあった。ヨハン2世曰く、「彼の作曲は悪くないのだが、誰も買いたがらないのだ」(1892年)
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