韮山役所跡とは? わかりやすく解説

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韮山役所跡

名称: 韮山役所跡
ふりがな にらやまやくしょあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 静岡県
市区町村 伊豆の国市
管理団体 伊豆の国市
指定年月日 2004.09.30(平成16.09.30)
指定基準 史2
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 韮山役所跡は、韮山町東部丘陵端に所在する江戸幕府世襲代官であり、代々太郎左衛門名乗った江川家の幕府代官役所跡である。
江川氏は、清和源氏宇野頼親を祖とし、初め大和国奥之郷宇野にいたが、のちに伊豆国八牧郷江川移った十代治長は源頼朝の挙兵助けて江川荘を安堵され、二十一代英信の時に姓を江川改めた戦国期以降後北条氏配下にあったが、二十八代英長は小田原攻めの際に徳川家康従い慶長元年(1596)世襲代官任用されたのである初期幕府代官在地領主的な者が多かったが、江戸中期まで多くは職を解かれた。その中で江川家は幕末まで世襲代官として残り所管地も元禄期頃には伊豆相模のほかに武蔵支配したとされる三十六代英龍の時には伊豆駿河相模武蔵加え天保9年(1838)に甲斐幕領加えて12万石余を支配し晩年安政元年(1854)には武蔵での支配地を拡大し26万石余を支配した
韮山代官役所は、江戸韮山分かれ江戸で武蔵相模甲斐を、韮山では伊豆駿河管轄した。支配地が広大であることから補助機関として三島陣屋(旧三島代官所)が機能し、さらに手代たちを配した出張陣屋年貢徴収民政全般に対応した
韮山代官としては、伊豆島方支配御林管理代官貸し付け金融、綿羊甘藷等の殖産興業仕事行った。特に、文人坦庵として著名な三十六代英龍は、早くから海防問題注目し幕府軍事顧問として軍制改革関わり反射炉による大砲の鋳造農兵設置尽力するとともに敷地内江川塾(後の旧制韮山中学校)を開設する等、地域の子弟の教育にも力を注いでいる。
明治維新後も韮山役所跡は、韮山県庁として引き継がれ、英龍の子英武知事務めたまた、廃藩置県による韮山県解体後も、伊豆管轄のための役所置かれ郡役所江川家の敷地外に出るまで、伊豆地域政治の中心として機能したのである
現在敷地内には、江戸時代初期建てられ江川家住宅主屋や、中期仏間鎮守社後期の門、武器庫書院などの重要文化財建物残り代官役所としての佇まいを今に遺している。
このように、韮山役所跡は、世襲代官として地域根ざした活動をし、かつ広大な地域支配し幕末には軍制関わりをもつなどした江川氏の遺跡として、当時建物良好に残っており、我が国近世地方支配在り方歴史考え上で極めて重要な遺跡であることから、史跡として指定し保護図ろうとするものである
史跡名勝記念物のほかの用語一覧
史跡:  静川遺跡  鞠智城跡  韮山反射炉  韮山役所跡  音江環状列石  須曽蝦夷穴古墳  須玖岡本遺跡



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