陣が峯城跡とは? わかりやすく解説

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陣が峯城跡

名称: 陣が峯城跡
ふりがな じんがみねじょうあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 福島県
市区町村 河沼郡会津坂下町
管理団体 会津坂下町
指定年月日 2007.07.26(平成19.07.26)
指定基準 史2
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 陣が峯城跡は、福島県西部会津盆地北西部位置する平安末期12世紀営まれ城館跡である。この地は阿賀(野)川が新潟県抜け盆地出入り口にあたり城跡盆地を東に一望する比高約20mの台地縁辺標高約195mに立地する地元ではこれを「ジョウノシロ」と呼称しているが、近世にはその名が知られ会津藩文化6年(1809)に編纂した新編会津風土記』に、越後豪族四郎長茂が築城した二十八館のうちの一つであること、焼け米が出土すること、地元では長茂の居館焼き討ちされたと伝えていることなどが記されている。
 会津坂下町教育委員会では遺跡重要性鑑み平成14年度から3カ年にわたり内容確認のための発掘調査行った城跡平面台形状を呈し段丘崖である東辺をのぞく周囲二重に堀を巡らす内部東西約110m、南北約175mの広さで、東に緩く傾斜するおおむね平坦である。西辺部のみに高さ約2.5mの土塁が伴う。堀は自然の地形利用したものと推定されるが、二本平行し堀の間は土塁状をなすことから、人工的に整形したことが窺える。堀の規模南北辺が西辺より大きく、幅20m、深さ15mほどもある。郭内中央やや北よりの地点と東辺部において掘立柱建物確認された。前者では重複した複数建物があり、いずれも桁行五間以上の比較大型建物である。東辺部では多量炭化した遺物とともに掘立柱建物検出された。出土品中国・朝鮮半島産を含む陶磁器類、木製品金属製品など多様である。陶磁器類では、中国産の白磁四耳壺個体のほか水注、碗・皿、青白磁高麗青磁碗など奢侈品が目立つ。炭化した・盤・挽物容器飯類、穀豆類などや和鏡・錘、多様な鉄鏃などは当時食生活遺跡の性格考え上で重要である。また、炭化木製品や被熱した陶磁器多く火災遭って廃絶したことがうかがえる。これらの遺物から城跡12世紀前半代に築かれその後半のうちに廃絶したものと思われる
 12世紀城館遺跡類例きわめて乏しいが、陣が峯城跡にみられる立地二重の堀を巡らす構造は、同じ時期奥州藤原氏拠点平泉館」とされている柳之御所遺跡共通し会津地方における有力な政治的拠点である城館考えられる。この地域は、摂関家河荘に属していたが、城氏勢力基盤をもっていた越後阿賀野川通じて直結する地理的条件をもっていたこと、九条兼実日記玉葉』が城四郎長茂が木曽義仲敗れて津之城」に逃れた伝え城氏との関係が強いと考えられることから、この城が伝承どおり城氏関係している可能性もある。
 このように陣が峯城跡は出土遺物が豊富で城館具体的内容把握され後世再利用されることなく保存状況極めて良好である。この近辺には、雷神山経塚や庭園遺構を伴う薬王寺遺跡壮大な拝殿長床」をもつ新宮熊野神社など、平安末期さかのぼ文化財があり、城を取り巻地域状況知られることも特筆できる。よって、史跡指定し保護図ろうとするものである
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