解釈と評価
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昭和陸軍の戦陣訓の評価は分かれている。一部では、太平洋戦争中で発生したとされる日本軍の所謂バンザイ突撃と玉砕(=全滅)、民間人の自決を推奨し、降伏を禁止させる原因であると理解される一方、当時の将兵のなかには戦陣訓を批判したり無視しているものもあったといわれる(下記)が、いずれにせよ軍部の暴走と腐敗は時局と戦局を悪化させ、大日本帝国は敗戦により滅亡した。 東條英機と対立していた石原莞爾陸軍中将(『戦陣訓』発令の同年8月東條により罷免され予備役)は、1941年9月には著書『最終戦争論・戦争史大観』で戦陣訓について「蔣介石抵抗の根抵は、一部日本人の非道義に依り支那大衆の敵愾心を煽った点にある。『派遣軍将兵に告ぐ』『戦陣訓』の重大意義もここにありと信ずる。」と述べ、さらに「軍人勅諭を読むだけで充分」と部下には一切読ませなかったという説がある。また、同1941年(昭和16年)に菊池寛は「これは、おそらく軍人に賜りし勅諭の釈義として、またその施行細則として、発表されたものであろう。」と述べている。 戦陣訓はあくまで東條陸軍大臣の訓示であり、法的拘束力が曖昧で、そのため海軍はこれを無視していたといわれる。海軍のパイロットであった坂井三郎は戦陣訓は「強制されたものではない」と述べているが、他方で「(支給品である)落下傘をもって行ったけれど、座布団代わりに敷いていただけで、バンドは(各パイロットが自発的に)もって行かなかった」と証言している。 昭和18年、中国戦線において戦陣訓を受け取った伊藤桂一陸軍上等兵(のち戦記作家)によれば、一読したあと「腹が立ったので、これをこなごなに破り、足で踏みつけた。いうも愚かな督戦文書としか受けとれなかったからである。戦陣訓は、きわめて内容空疎、概念的で、しかも悪文である。自分は高みの見物をしていて、戦っている者をより以上戦わせてやろうとする意識だけが根幹にあり、それまで十年、あるいはそれ以上、辛酸と出血を重ねてきた兵隊への正しい評価も同情も片末もない。同情までは不要として、理解がない。それに同項目における大袈裟をきわめた表現は、少し心ある者だったら汗顔するほどである。筆者が戦場で「戦陣訓」を抛(ほお)つたのは、実に激しい羞恥に堪えなかったからである。このようなバカげた小冊子を、得々と兵員に配布する、そうした指導者の命令で戦っているのか、という救いのない暗澹たる心情を覚えたからである。」と述べている。また、「軍人勅諭」は筋が通って名文と評価する一方で、「戦陣訓」は「世界戦史の中でも最悪の文章」と酷評し「『生きて虜囚の辱めは受けず』なんてことは、言われなくても前線の兵士は分かっているんですよね。文章全体に溢れている督戦的な匂いがいやだった」として、東條英機は「戦陣訓」を作った責任があると述べている。。しかし、前述のとおり東條は実際には制作にはかかわっていない
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解釈と評価
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西田は前述の本門仏立宗への入信経緯から、南無高祖日蓮大菩薩などと記されたままの日蓮宗のお経を使う。青巻経(平楽寺書店)版ではある程度のフリガナ抜粋があるものの霊友会などでも、そのままである。しかし、西田は、日蓮宗など従来の伝統宗派の解釈とは異なり、上記のように法華経と先祖供養を結びつけたが、また法華経に説かれる仏所護念という語義もまた異なる。伝統宗派では、法華経がある所や信じられている所は如来によって護念されている、とされるが、西田は、先祖のいる場所やその仏心のある場所は子孫や大衆によって護念される、という新しい解釈を打ち出した。また既成宗派の戒名のランク付けを徹底的に批判したのも、法華経の平等大慧の見地によるものであった。 西田は、これら既成宗派の僧侶が堕落し在俗の職業的に変わらないことを見限り、在家信徒の先祖供養は僧侶に任せるのではなく、在家信徒自身が行わなければいけないと説いていた。 したがって、西田無学によって提唱された先祖供養は、現在の日本において強い影響を与えている。しかし、彼は余り知られた存在ではなかったため、近代に至るまで既成宗派や仏教学では彼の唱えた「仏所護念・平等大慧」は、ほとんど無視に近い状態であったといわれる。慶應義塾大学の印度哲学客員教授である由木義文は『西田無学・研究ノート』でこれを指摘し、彼の理念やその行動を正当に評価すべきだと述べている。
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