自由フランス海軍
自由フランス海軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 17:19 UTC 版)
「ル・マラン (大型駆逐艦)」の記事における「自由フランス海軍」の解説
トーチ作戦から程なくして、アルジェリアのヴィシー・フランス軍が自由フランス軍に加わることになった。そのためル・マランとル・ファンタスク、ル・テリブルも自由フランス海軍に所属することとなり、ル・ファンタスクとル・テリブルは近代化改修のため1943年2月14日にアメリカ合衆国のニューヨークへ到着した。ル・マランはカサブランカ沖海戦で負った損傷の修理で出発が遅れたものの、6月にアメリカへ到着した。 アメリカ到着後、ル・マランはマサチューセッツ州ボストンのボストン海軍工廠で大規模な改修を受け、既存の対空火器はすべて撤去されたうえで20mm単装機銃10基と2番煙突前方に40mm連装機銃を2基、3番・4番主砲間に40mm四連装機銃を1基搭載した。対潜兵装強化のため、格納式ASDICの装備や後部魚雷発射管を撤去して爆雷投射機4基が搭載された。また、アメリカ製対空警戒・航法用レーダーが搭載されたことで強度を確保するためマストがラティス・マストに更新されている。さらに無線の強化、艦体に消磁電路の装着、燃料タンクの容量増加といった改良も行われている。ル・マランの改装は1943年11月17日に完了し、ル・マランら大型駆逐艦は米英の基準に合わせて艦種が「軽巡洋艦」に変更された。
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自由フランス海軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 02:12 UTC 版)
詳細は自由フランス海軍を参照 自由フランス海軍は、エミール・ミュズリー提督の下で世界中の海で戦った。結成当初は小さな戦力だったが、連合国勢力圏と海外植民地に分散したフランス艦艇をまとめ上げ、連合国軍から提供された艦艇(「ラ・コンバタント」など)も加えて徐々に規模を拡大させていった。大きな艦隊戦こそ経験せず、護衛・哨戒と上陸作戦の火力支援という地味な活動が多かったが、初陣となったダカール沖海戦以来、自由フランスの反攻作戦を支え続けた功労者である。対するヴィシー政権の海軍が1942年末までにほぼ戦力を喪失したため、1943年以降は「フランス海軍」とほぼ同義の存在となったが、この間のフランスの複雑な政治情勢を反映して「リシュリュー」級戦艦のように双方の海軍に所属して戦ったことのある艦艇もある。
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自由フランス海軍
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「ル・ファンタスク (大型駆逐艦)」の記事における「自由フランス海軍」の解説
1942年のトーチ作戦から程なくして、アルジェリアのヴィシー・フランス軍が自由フランス軍に加わることになった。そのため、ル・ファンタスクとル・テリブル、ル・マランも自由フランス海軍に所属することとなり、ル・ファンタスクとル・テリブルは近代化改修のため1943年2月14日にアメリカ合衆国のニューヨークへ到着した(ル・マランも6月に到着)。 アメリカ到着後、ル・ファンタスクはマサチューセッツ州ボストンのボストン海軍工廠で大規模な改修を受け、既存の対空火器はすべて撤去されたうえで20mm単装機銃8基と2番煙突前方に40mm連装機銃を2基、3番・4番主砲間に40mm四連装機銃を1基搭載した。対潜兵装強化のため、格納式ASDICの装備や後部魚雷発射管を撤去して爆雷投射機4基が搭載された。また、アメリカ製対空警戒・航法用レーダーが搭載されたことで強度を確保するためマストがラティス・マストに更新されている。さらに無線の強化、艦体に消磁電路の装着、燃料タンクの容量増加といった改良も行われている。ル・ファンタスクの改装は1943年5月13日に完了し、6月25日にカサブランカへ向け出港した。これらの改装により約500トンの重量増加となったが、ル・ファンタスクとル・テリブルは改装後の公試でも40ノットを発揮している。改装後、ル・ファンタスクら大型駆逐艦は米英の基準に合わせて艦種が「軽巡洋艦」に変更された。
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自由フランス海軍
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「ル・テリブル (大型駆逐艦)」の記事における「自由フランス海軍」の解説
1942年のトーチ作戦後、アルジェリアのヴィシー・フランス軍が自由フランス軍に加わることになった。そのため、ル・テリブルとル・ファンタスクも自由フランス海軍に所属することとなり、近代化改修のため1943年2月14日にアメリカ合衆国のニューヨークへ到着した。 ル・テリブルは大規模な改修を受け、既存の対空火器はすべて撤去されたうえで20mm単装機銃8基と2番煙突前方に40mm連装機銃を2基、3番・4番主砲間に40mm四連装機銃を1基搭載した。対潜兵装強化のため、格納式ASDICの装備や後部魚雷発射管を撤去して爆雷投射機4基が搭載された。また、アメリカ製対空警戒・航法用レーダーが搭載されたことで強度を確保するためマストがラティス・マストに更新されている。さらに無線の強化、艦体に消磁電路の装着、燃料タンクの容量増加といった改良も行われている。ル・テリブルの改装は1943年5月13日に完了し、6月24日にガダルプへ向け出港した。これらの改装により約500tの重量増加となったが、ル・テリブルとル・ファンタスクは改装後の公試でも40ノットを発揮している。改装後、ル・テリブルら大型駆逐艦は米英の基準に合わせて艦種が「軽巡洋艦」(Croiseurs Léger)に変更された。
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